街と融合する「9番目の芸術」― スイスのコミックフェスティバル「フメット」(2)

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本レポートでは前回に続き、4月14日から22日までスイスのルツェルンで開催されたコミックフェスティバル「フメット」をご紹介します。

前回は、コミックがいかにして趣深い古都にちりばめられているかを見ていただきました。そのように街にうまく調和したフメットを仮に「街とコミックの融合」と呼ぶならば、次に紹介する展示は見事な「コンセプトの融合」です。 観光エリアから少し外れた閑静な住宅地の中、子供たちが元気に遊ぶ公園の傍らで「シェルター(Shelter)」 と題する展示が行われました。これは今回のフメットのハイライトと言って間違いないでしょう。その無表情な入口からは想像もつかない世界が扉の向こうに広がっています。この会場は「民間防衛施設」(独:Zivilschutzanlage)と呼ばれる市の施設です。冷戦時代において有事に市民を守るための施設として1976年に運用が始まりました。この施設自体7フロアにもわたるものですが、その下層階が高速道路のトンネルと連結されており、有事の際には核爆弾の爆風を想定したゲートを閉ざすことでトンネルを約2万人収容の避難所にするという、何とも大掛かりな構想です。冷戦の終結を受け、施設の運用も2002年に終了しました。現在では一般見学ができるように整備されています。

のどかな公園脇のシェルター入口。
見学はガイド付きツアーでした

今回フメットでは、外界から隔離されたこの冷戦時代の遺産を舞台にして、戦争、政治、危機、難民といったテーマのコミックを展示したのです。コンクリート壁に囲まれた無機質な薄暗い空間で体験する世界情勢の暗い側面。そのコンセプトは実に見事な組み合わせと言えるでしょう。20名ほどの作家が取り上げられており、今回のフメットで最も大規模な展示です。作家の出身国はスイスやドイツをはじめ、スペイン、イタリア、アメリカ、カナダ、エジプト、イラク、シリアなど、多岐にわたります。

傾斜の大きいトンネルを延々と下っていきます

ガイドツアーは50分ほど。
広いため、かなり駆け足でした

その一人、スイス人のパトリック・シャパット (Patrick Chappatte)は、アメリカの死刑囚を記録したInside Death Row(『死刑囚監房の内側』) をニューヨークタイムズで発表し、グラフィック・ジャーナリズムを展開する風刺漫画家です。シェルターではその作品が原寸大の監房と併せて展示されました。また、カナダ人のギィ・ドゥリールはこれまで北朝鮮、中国、イスラエルといった国に滞在した記録をコミックとして発表している作家ですが、そのドゥリールが2016年に発表したS’enfuir. Récit d’un otage(『逃走―人質になった話』) もシェルターには展示されています。これは、1997年に北コーカサスでチェチェン独立派勢力に誘拐された国境なき医師団の男性が最終的に帰還を果たすまでの111日間を記録した作品です。シェルター内にある多数の留置室が展示に使われていたのですが、何もない部屋に監禁された人物の実録を紹介する場所としてこれ以上にうってつけの場所はないでしょう。ドゥリール作品の邦訳は『マンガ 平壌』 のみですが、ドイツ語ではいくつもの訳書が出版されており、注目度の高い作家と言えます。ドゥリールもまたフェスティバルの初日に来場し、対談などのイベントに参加しました。

独房の扉にある小窓からも展示が見られます

留置室の扉を閉じて拘束される気分を
味わわせてくれました

スペインのカルロス・スポットルノ (Carlos Spottorno)とギレルモ・アブリル (Guillermo Abril)が2016年に出版したLa grieta(『裂け目』) もまたドイツ語訳が出版されています。これは絵ではなく写真をコミック形式でまとめた独特なスタイルのグラフィックノベルとして注目を集めました。EUの対外国境を取材し、そこにあふれるアフリカ人難民、国境警備、そしてイタリア沖で繰り広げられる難民船救助の現場に迫った作品です。シェルターではその印象的な記録の数々を映像と併せて紹介しました。その他の展示作品には、同じくジャーナリスト的な視点でシリアとトルコを題材にしたイタリア人作家ゼロカルカーレ(Zerocalcare) のKobane Calling(『コバニ・コーリング』) や、アメリカ人サラ・グリデン (Sarah Glidden)のRolling Blackouts(『ローリング・ブラックアウト』) などがあります。
※サラ・グリデンについては、CJ・スズキさんがComic Streetで『60日以内でイスラエルを理解する方法』のレビューをしてくれています。

驚くような隙間の奥にも展示があります

フメットは芸術性に重きを置くと先に述べましたが、だからと言って何か高尚な立場を取ろうとしているわけではありません。子ども向けにワークショップなどを開催しているほか、恒例でショートコミックのコンテストを実施しており、12歳以下、13~17歳、成人の3部門で国内外から合計1000点近くの応募があります。また、展示においても、上記のような著名アーティストだけでなく無名な作家も取り上げていますし、南米の作品を集めた展示、スイスとブラジルのコミック界を結ぶプロジェクト、イラクやシリア、インドの作家を招いたパネルディスカッションを行うなど、裾野の広いフェスティバルです。来場客を見ても親子連れから若者、年配の人に至るまで、年齢や性別を問わずあらゆる人々が混じっており、「コミックファン」という特定層ではなく、幅広い一般の人々がシンプルに文化イベントに足を運んでいるんだな、という印象を受けました。

最後の2日は中心会場の一部エリアにインディペンデント系のテーブルも並びました

旧市街の静かな中庭に展示された南米諸国の作品

世代を越え、国を越え、ジャンルを越え、会場の枠を越えるフメット。スイスのコミックは日本やアメリカ、フランスと比べればごく小さなマーケットですが、このようなフェスティバルをきっかけに今後さらに面白いものが生まれてくるかもしれません。


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About Author

大山 雅也

ドイツ語翻訳者。日本でドイツ文学を修め、ドイツで言語学科を卒業。十年来ドイツに住み、フリーランスとして活動中。産業翻訳から書籍の翻訳までさまざまな分野で実績を持つ。フランクフルトのブックメッセを機に海外のコミック/グラフィックノベルに関心を持つようになり、ドイツ語圏の市場を中心に積極的に関わっていきたいと考えている。

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