ティリー・ウォルデン『スピン』を読む

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1.ヤング・アダルト(YA)とはなにか?

ティリー・ウォルデンによる(またしても!)グラフィック・ノヴェル『スピン』(原題:Spinning)を読む。

ティリー・ウォルデン『スピン』(有澤真庭訳、河出書房新社、2018年)

その訳者(有澤真庭)あとがきに「2017年9月に本書が出版されると、コミック界のみならずYA界、LGBTコミュニティからも注目と絶賛を浴び、アマゾンやパブリッシャーズ・ウィークリー、ニューヨーク公共図書館等の月間・年間ベスト(YA部門)に軒並み名を連ねていきます」とあり、私の思いは、初めてYA(ヤング・アダルトyoung adult)ということばを知った1959年の春にさかのぼった。

この年の4月、東京・三鷹の国際基督教大学に入学した私は、まずその図書館のすばらしさに感激、本好きの私は(部員となった美術部の見晴らしのいい学生会館3階の部室を別として)、連日、図書館にいりびたるようになった。

なにしろそこには、日本の新聞のほかに、毎日、『ニューヨーク・タイムズ』がはいってくるし、『ニューズウィーク』や『タイム』はもちろん、『ザ・ニューヨーカー』などの週刊誌がはいってくる。内外の新刊書は毎週月曜に展示され、借りだしの予約をすることができるのだった。月刊誌では『ハーパーズ・マガジン』や『ジ・アトランティック・マンスリー』のような月刊文芸誌も入荷していた。さらに本好きの私にとって嬉しいのは、『ライブラリー・ジャーナル』、『パブリッシャーズ・ウィークリー』といったアメリカの図書関係の雑誌も、見ることができるのだった。『パブリッシャーズ・ウィークリー』や『ライブラリー・ジャーナル』誌には、ヤング・アダルトという部門があり、若い世代向けのアメリカの新刊書が紹介されていた。そこで私は、初めてyoung adultという、まだ日本語ではまったく定着していなかった本の区分を知ったのだった。同様の意味のことばに、ジュニア・ハイアップ(junior high-up)という図書用語があることも、このとき知ったのである。

また、子ども向きの絵本の賞であるカルデコット賞受賞作や、青年向けのニューベリー賞受賞作などは、必ずICU図書館にははいってくるので、読書好きの私にとって、この図書館は、まさに宝庫だった。『ジ・アトランティック・マンスリー』には、私の好きなアメリカのユーモア作家ジェイムズ・サーバーが『ザ・ニューヨーカー』誌の初代編集長の思い出をつづった『ロスとの歳月』(The Years with Ross)の連載が始まったところだった。この回想記は、後に単行本になったのを私は持っているが、ついに邦訳は出なかった……。

2.高校生女子の日々の不安

といったぐあいに、私は早くからヤング・アダルトという年代表記にはなじんでおり、『スピン』に接したとき、ああ、まさにこのコミックスこそ、YA向きにぴったりだと思ったのだった。

これは、ニュージャージーからテキサスの高校へ進んだアイス・スケート好きの女の子のおはなしで、もちろん男性の私が読んでいろいろ学んだが、基本的には女性の読者がとびつく内容だと思った。ティーン・エイジャーの女の子の日常の細部、その主としてクラスメートをめぐる気づかいの模様が、ていねいにつづられていく。

練習の様子

一人称の物語だが、吹きだしのセリフのほかに、日本の少女マンガで言うところの、日々の内語(こころのなかの思い)がつづられていく。服装や顔の化粧など、世界共通の女の子の悩みも描かれるが、例えば主人公が「トイレに一緒に来てくれる?」と仲よしの女の子に頼むところは、女の子の世界はこんな場合、日本と同じなのだな、と読んでいて思ったりする。クラスにはなじめなかったり、クラスメートに意地悪される悩みも描かれている。

といって、アイス・スケートの技術や学びかたについてのマンガでもない。自分の進む方向はなにか―自信が持てず、周囲の世界と必ずしもしっくり溶けこんでいるわけでもなく、悩みつづけている姿が描かれていく。

学校や家での日常

高校のころから絵もうまかったようだが、アイス・スケート競技の様子が、技術というよりも、通っている高校の雰囲気とか人間関係を軸に描かれ、彼女が絵を描く場面はない。現在の作者の活躍ぶりを知ると、かつてどんな絵を描いていたのか、ちょっと知りたくなる。

全ページ一色刷りだが、1ページ大の大きな場面や、6コマのページなどをうまく組みあわせ、学校の建物やスケート場などの空間のひろがりのなかでの自分の存在を、自然な緩急の流れで―つまり、自分の孤独な内面の声と、周囲の人びとの距離感を、建物内部の描写で(描きこみすぎない絵で)、あるリズムを持って語っていく。

大ゴマで描かれた印象的な室内描写

つまり、このマンガは、見るマンガであるのは当然だが、読むというより〈聞く〉マンガのように思えてくる。私の、主人公の日々のこころのつぶやきに、耳をかたむけていた……。

3.作者の宇宙SFを早く読みたい

青春の悩みには、結論が出るわけでもなく、ことさらのハッピーエンドを作るわけではないが、このグラフィック・ノヴェルの作者の現在の成功を知っている読者にとっては、ハリケーンのさなか、ホテルで異様な空を見あげているエンディングには、主人公といっしょに、未来に向けての開放感にひたることが出来て、それが一種のカタルシスを与えているように思う。

私自身をふり返ってみても、高校卒業の頃から大学へはいるまでは、いちばん暗く、不安だったような気がする。大学の入学試験のとき、ジェイムズ・サーバーのエッセイの一部が問題用紙に英文のまま出たとき、あ、この文章は読んだことがある―と思って気が楽になったことを覚えている。それで、時間が余ったので、問題用紙の余白に、エンピツで、バットマンやスーパーマンの絵を描いていたものだ。入学してから、そのときの試験をアルバイトで手伝った上級生が、そのことを覚えていて、「あれはあなただったのね」と笑われた思い出がある。

私も、大学にはいってようやく解放され、それこそ、アメリカのヤング・アダルトの本に気持ちが向いたのだった。

それにしても、この作者が、最新作ではSFファンタジーも描いているとは驚いた。鯉の形をした宇宙船が登場する作品だという。それもぜひ読みたいと、その作品が翻訳刊行される日を待ち望んでいる。それにしても、約400ページのこの『スピン』は、作者21歳のときの作だというからすごい。いま、世界じゅうで、マンガの分野がどんどん新しくなっていることを、『スピン』を読んで痛感している。文学書として書評されるマンガが、次つぎと世界のあちこちで生まれている―そういう時代が、すでに来ているようだ。

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About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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