魔法の“インディアンの缶詰”―サミュエル・スタント&ギヨーム・トゥルイヤール『弓矢の季節』

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筆者がフランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”に興味を持ったのは2005年頃のこと。それ以来、それなりの数のバンド・デシネを邦訳でも原書でも読んできた。

ACBD(BD批評家ジャーナリスト協会)というところが毎年まとめているバンド・デシネについての年次報告によれば、2005年に出たフランス語圏のバンド・デシネ(日本のマンガやアメコミの仏訳は除く)の数は1177点、2016年には1558点にものぼる。日本のマンガの刊行点数に比べたら圧倒的に少ないが、とはいえ、これだけ出ていると、全部買うなんてことはできない。そもそも、バンド・デシネの単行本はそれなりに高いのである。借りたり、もらったりする本だってあるが、たかが知れている。

仕方がないから、気になるけど読めない作品は、とりあえずタイトルや作者名をチェックしておいて、時機を待つことになる。だが、それなりに注意してるつもりでも、個人的にツボなのに、その存在にすら気がつかない作品が、毎年かなりたくさんあったりするのである。日本のマンガだって、そんなことは間々あるから、そういうもんなのだろう。その手の本は、刊行後しばらくしてから、何らかの理由で知ることになるわけだが、昨年も、フランス人の友人に教えてもらって、こんなバンド・デシネを知ることができた。

Samuel Stento & Guillaume Trouillard, La Saison des flèches, Les Éditions de la Cerise, 2017 (2009)

サミュエル・スタント&ギヨーム・トゥルイヤール『弓矢の季節』(Samuel Stento & Guillaume Trouillard, La Saison des flèches, Les Éditions de la Cerise)。初版が出たのは2009年。2009年といえば、なんなら今以上にバンド・デシネに興味があった時期だが、この本にはまるで気づかなかった。昨2017年に再版され、その機会に友人に教えてもらった。出版社の名前はレ・ゼディション・ド・ラ・スリーズ。スリーズというのはさくらんぼのこと。さくらんぼ書房ぐらいな感じか。ホームページを訪れてみると、レトロな雰囲気でかわいい。この出版社の本を読むのはこれが初めてだが、凝った本をいろいろ出しているようだ。フランスには、ここみたいに、凝ったバンド・デシネを出す小さな出版社が、かなり存在している。本拠地はパリではなくボルドー。2002年にアングレームの美術学校出身の若者たちが集まって作った小さな出版社らしい。その中心が『弓矢の季節』の作画を手がけるギヨーム・トゥルイヤールである。


フランスはポワトゥ=シャラント地方のとある都市で隠居生活を送る老夫婦のもとに、ある日、宅配便で荷物が到着する。待ってましたとばかりに宅配員を迎える老夫婦。いそいそと包みを開けると、中に入っていたのは缶詰。

宅配便で届いた缶詰

そう、これは、アメリカのマリガンズ・トラディション株式会社の大ヒット商品インディアンの缶詰なのだ。いかにもフランス的な悪ふざけである。

「インディアンを育てよう!!!」

商品説明書に記された社史によれば、この缶詰は、マリガンズ・トラディション社の創業者アーヴィング・マクマリガンが、1879年、若干17歳で開発したのだという。当時、インディアンはまだアメリカ各地に多く存在していたため、創業したてのマリガンズ・トラディション社は苦戦を強いられるが、1885年、インディアンが慢性的に不足し、転機が訪れる。この年から、インディアン缶は文字通り飛ぶように売れるようになった。1891年には家族缶をリリース。ムスタング(半野生の馬)とティピー(小型テント)もおまけで付属した。生粋の企業家であるアーヴィング・マクマリガンは、常に商品改良と市場開拓を怠らない。1929年の大恐慌時には、缶入りインディアンを労働力として活用、1944年には、インディアン缶をノルマンディー上陸作戦に送り込み、ヨーロッパ市場参入を果たす。1955年、亡くなる直前には、チューブ入りインディアンの商品化に成功した。

説明書風に観音開きになったページ。
社史まで記された本格的な作り

老夫婦が購入したのは、この世界的大ヒット商品だった。さっそく缶を開けると、彼らとインディアン一家との共同生活が始まる。缶詰から現れたのは、インディアンの父親、母親、息子の3人家族だった。ゲストルームが彼らの居住スペースになり、さっそくティピーが建てられる。

老夫婦宅のゲストルームに建てられたティピー

老夫婦の夫は、インディアン一家の観察日記をつけ始める。最初のうちこそ、老夫婦は、なるべくインディアン一家に干渉しないように、遠巻きに様子を眺めていたが、時が経つにつれ、少しずつ異文化交流が始まる。老夫婦は、インディアンの父親をジェラルド、母親をマリー=ポール、息子をシルヴァンと命名。フランス人の暮らしを知ってもらうためにホームビデオの鑑賞会を開く一方で、本を通じて、インディアンの生態を学ぶ。

初日と2日目の日記

やがて、老夫婦の住まいでは、時空がねじれ始める。インディアン一家を迎えてから27日目、老夫婦が目を覚ますと、見知らぬ男がソファで眠っている。どうやらインディアン一家の長であるジェラルドが旅人に宿を提供したらしい。ジェラルドから説明があったわけではないが、浴室に描かれた絵文字からそのことが判読できる。旅人の名はエドワード。自称“才能溢れる若きルポルタージュ写真家”。彼はインディアン一家を写真に収めると、本ができたら送ると約束して、その場を辞去した。後日、老夫婦は、図書館で、エドワード・S・カーティスなる人物による『北米のインディアン』という本の中に撮られた写真を見つける。著者は1952年に亡くなっていた。

浴室に記された絵文字

老夫婦の住まいでは、ますます時空のねじれがひどくなる一方である。冷凍庫の雪が原因で、浴室と寝室を隔てている峡谷を渡るのに7日もかかり、キッチンに金鉱が見つかったせいで、採掘者が次から次に訪れる始末。彼らの部屋は、もはやありし日のアメリカ西部と化していた。

荒くれ者の採掘者が、キッチンの金鉱にダイナマイトを仕掛ける

事態を重く見たフランス内務省からインディアン一家に強制退去勧告が送りつけられる。老夫婦の妻が県庁に抗議に向かうが、取りつく島もない。老夫婦は、インディアン一家の尊厳を守るために、無法者として生きていくことを決意する。一同はキッチンを放棄し、寝室に立てこもることにするが――

強制退去勧告


“インディアンの缶詰”などというと、昨今のポリコレをめぐる騒動もあって、眉をひそめる向きもあるかもしれないが、そんな観点から一方的に批判するには、あまりにチャーミングな作品である。こうした不謹慎な想像には何とも言えない魅力がある。古谷実の『行け!稲中卓球部』に、力士とは絶滅寸前の動物なのではないかという話が出てきたことがあったが、どこかそれにも似た……。いや、ちょっと違うか。

老夫婦のインディアン一家に対する眼差しは、当初、博物学的な珍奇な対象に対する好奇心をなぞっている。文明に属する老夫婦が、未開のインディアン一家を観察するという構図である。だが、やがて、インディアンの生活空間が老夫婦の近代的な生活空間を侵食していくことで、こうした構図は無効化してしまう。老夫婦は、一緒に暮らすうちに、徐々にインディアン一家に親近感を抱いていく。そして、いつの間にか住まいがアメリカ西部とつながってしまうと、老夫婦とインディアン一家は、過酷な自然を生き抜くための、そしてフランス当局とともに戦うための生命共同体となるのだ。やがて、それは、老夫婦だけでなく、インディアン缶を購入した、その他のフランス人たちにも伝播していく。

“インディアンの缶詰”は、フランスの地方都市にある老夫婦のアパルトマンを壮大な西部に変えてしまう魔法の缶詰だった。あいにくそんなステキな缶詰は今のところまだ商品化されてはいないが、私たちにとっては、本書が、そのめくるめく体験を味わわせてくれる、いわば魔法の缶詰なのかもしれない。

About Author

原 正人

1974年静岡県生まれ。フランスのマンガ“バンド・デシネ”の翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。「世界のマンガについてゆるーく考える会」主宰。もちろん日本のマンガも大好き。

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