リチャード・マグワイア『ヒア』を読んで

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1.作者は〈分身の術〉の天才忍者だ!

「ははあ、リチャード・マグワイアというアメリカのマンガ家(なんなら、新しいグラフィック・ノヴェルの最先端を行く大家―と言ってもかまわないが)は、いわば〈分身の術〉の天才なのだな」というのが、彼の300ページのフル・カラーの大作『HERE ヒア』を手にしたときの印象だった。

リチャード・マグワイア『HERE ヒア』(大久保譲訳、国書刊行会、2016年)

私はかつて山田風太郎の忍法小説に読みふけったのだが、そのなかに分身の術があったのが忘れられない。いちばん驚いたのが、自分が海のなかで無限に拡散され、つまり死んでいく忍者の感覚を描写した部分なのだが、ともかくいろいろな術が次から次へと出てくる。とにかく、忍者のからだがいろいろに変り、滅形の術などというのもあったような気がする。

だが、タイム・マシンではないので、風太郎式忍者といえども、時間をいろいろな時期に分断することはできなかった。しかし、リチャード・マグワイアは、ずっとむかしから(というのは、アート・スピーゲルマンが編集していた『RAW』というアヴァンギャルド・コミックアート誌に、作品を発表していたころから―という意味だが)空間とともに時間をも分断してみせる〈分身の術〉のマンガ界における先駆者であった―と、ちょっと言ってみたくなる。

思えば、私が『世界コミックスの想像力―グラフィック・ノヴェルの冒険』(2011年、青土社刊)のなかで「ポパイとはなにか」という一章をさいて紹介したリチャード・マグワイアによるポパイとオリーブの、いわば壁紙模様(パターン)集も、一種のこのアーティスト独自の〈分身の術〉だったのではないか。

小野耕世『世界コミックスの想像力―グラフィック・ノヴェルの冒険』(青土社、2011年)

そのなかで彼は、1920年代の末に始まったマンガ家のE・C・シーガーによるポパイとオリーブのカップルのイメージを、解体・再合成してみせたのである。

この場合の〈分身の術〉とは、ポパイとガールフレンドのそれぞれの個体を分身させるのではなく、ふたりのイメージを、そのからだのそれぞれの部分にまず分け、その二体のイメージの各部品をさまざまな形で再合体・再構成して、新しいイメージを生みだす手法と言えばいいだろうか。

2.ポパイとオリーブを超えて

そうすると、ひとつのパターンの位置などを変えて組み合わせた壁紙よりも、もっと複雑なパターン構成が生まれ、それはポパイとオリーブのふたりの影を、いわば異次元の世界に解き放ったような、ふしぎな、しかしマンガのいたずらとしては、実に開放的な豊かな新しいイメージを生みだしていくことになった。

私はなにか、連載マンガの主人公ふたりを、そのコマ割りのなかから解き放ち、無限の宇宙へととびたたせたような、ひろびろと、のびやかなこころ楽しさを覚えたのだった。

なるほど、二者一体のカップルとしてのポパイとオリーブは、無限に分身しながら、同時に無限に合体し続け、かくしてふたりは、分身合体をくり返しつつ、愛は無限に深まっていく―そんな空想を、私は楽しんだものである。

そして『ヒア』の場合のマグワイアは、ポパイとオリーブのモノクロームの影の順列組み合わせの無限軌道への永久運動を超えて、ここに、いわばテクニカラー映画になった―と、私は忍法的には進化した『ヒア』を見て思いたくなる。

『HERE ヒア』の最初のページ。
この物語の主人公と言ってもいい部屋の
2014年の様子が描かれている

1957年ニュージャージー生まれのマグワイアには、生まれた時の赤児時代を初まりに、現在の自分まで、時間的には無限の自分の分身がある。その刻々の分身のまわりには、ネコが歩いていたり、父母がいたり、テーブルがあったり、クモが巣を張っていたり……そのほか、あらゆる状況での自分と、その周囲が続いてきている。

同じ部屋の1957年の様子。
作者が生まれた年でもある。
右下の猫の箇所には1999年と記されている

人生の時間のこれまでを、もしフィルムで撮影してきていたとすれば、無限に近いコマの画像が残っているにちがいない。

それは、あるひとの部屋の描写をたどって描くいっぽう、その外の世界や、自分が生まれる前のその場所と、もし時間の誕生とともにフィルムに記録されていれば、過去から現在を経て、さらに未来までのイメージがつらなっているにちがいない。

その無限のあり得る時間の〈分身〉を切りとって、周囲や自分が存在しなかったその場所の空間的な〈分身〉をも、ジャクスタポーズ(並置)させたイメージ群が、『ヒア』の三百ページのなかに詰まっていて、そのそれぞれのページを、私たちは味わうことになる。

3.時間と空間の分身術へ

肉体と時間をめぐる〈分身の術〉を、リチャード・マグワイアは、アメリカの週刊文芸誌『ザ・ニューヨーカー』の表紙画として試みたりもしてきている。

そうした彼の描く表紙絵のなかで歩く男は、そのからだのあらゆる部分が、細かな多くに分けられた〈時間〉によって合成され、それぞれの合成部分が、じりじりとアニメーションのように(それぞれ独自に)動いているのでは、と私は空想したくなる。『ザ・ニューヨーカー』の表紙を歩いている男は、からだの各部が、ちがったアニメの部分として動きつづけるアニメーション人間なのではないか。

300ページものカラー大作『ヒア』の初めの部分は、ある時のある部屋の様子が、大きく見開きで描かれている。

いわば〈ある部屋の歴史〉ともいうべきこのグラフィック・ノヴェル式ジョークには、次第にさまざまな時間が侵入してきて、多くの時間と空間が並置されてくる。その相互侵入の動きは、だれにも止められないかのようではないか。

1964年の部屋の様子に1932年、2014年、
1993年の時間が侵入する

ここまで時間と空間を〈分身の術〉の拡大解釈で、勝手に増殖させてしまったのは、人類の罪なのではないか―と、ふと私は思ってみたくなる。そしてこの本は、アメリカ人によるアメリカの分身をめぐる歴史であるとすれば、もし日本が舞台にした同趣向の作品が生まれたとしたら、その部屋は日本家屋なので、また描きかたが違ってしまうのではないか……。

数えきれないほど多くの時間の断片が
描かれているページ

肉体や風景が、それぞれの〈分身の術〉を主張しはじめ、人びとそれぞれの映画フィルムが、互いに場所をよこせといいだしたら、世界は滅びるのかしら―と勝手な空想をしながらも、そもそもは、こうしたユーモアの感覚と遊びこそが、世界のマンガ(グラフィック・ノヴェルとおっしゃってもけっこう)を発展させてきたのだと、つくづく思うのである。

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『ヒア』
『世界コミックスの想像力―グラフィック・ノヴェルの冒険』

About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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