駆け出す子供の肖像―アレッサンドロ・サンナ『ピノッキオ:ジ・オリジン・ストーリー』

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19世紀末イタリア、カルロ・コッローディによって『ピノッキオの冒険』が書かれた。

以来、のらくら者で、うそつきで、気の優しいあやつり人形が繰り広げる珍道中は、絵本やアニメや映画といった様々なメディアを通して語られ続け、現代の私たちにも親しまれている。

もちろんマンガもこの物語を語り直してきた。海外の作品で邦訳のあるものとしては、ヴィンシュルスがフランスでものしたブラックなパロディ『ピノキオ』(小学館集英社プロダクション、2011年)が挙げられよう。

本場イタリアでも、アレッサンドロ・サンナ(1975~)がある変奏を行っている。『ピノッキオ:ジ・オリジン・ストーリー』(Pinocchio: The Origin Story, Enchanted Lion Books, 2016)がそれだ。原書は2015年にイタリアのOrecchio acerboから刊行された。イラストレーターとして活躍するサンナの2作目のマンガで、1作目の『ザ・リバー』(The River, Enchanted Lion Books, 2014)と同じく、美しい水彩で描かれたセリフのない作品である。

アレッサンドロ・サンナ『ピノッキオ:ジ・オリジン・ストーリー』(Alessandro Sanna, Pinocchio: The Origin Story, Enchanted Lion Books, 2016)

前書きによれば、サンナが本作を描いたそもそものきっかけはトリノの小児病院を訪問していたことだという。彼はそこでガブリエルという少年と親交を深めたが、少年は避けられない運命としての死を迎えた。その事実を享受できないまま、ある冬の日、サンナは電車の窓から一本の木を目にする。その木の枝の一つが人間のような形をしていて、小児病院の子供たちを想起させると同時に、人形になる前のピノッキオの魂であるようにも見えたという。

燃やされかけたり、首を吊られたり、ロバにされたり、フカに飲み込まれたり……。コッローディの物語においてピノッキオが何度も象徴的な死と再生を繰り返してきたことを、ここで思い出しておくのもいいだろう。

とにかく、そのようにしてサンナはピノッキオ以前のピノッキオ――いわば原ピノッキオの物語を描くに至った。

落雷、そして……

物語は時の夜明けに始まる。流れ星が空を切り裂き、大地を穿った。やがてそこから生えた木に今度は雷が落ち、人の形をした一本の枝が生命を得る。その枝はどこへともなく走り出し、危険に満ちた旅のなかで、私たちがどこか親しみを覚える者たち――キツネやネコ、コオロギ、大蛇、火喰い親方、ミミズク、ハト、フカ等々――と出会うことになる……。

原ピノッキオの降誕

サンナの水彩は、キャラクターの表情を描かない。彼らは常にシルエットとして提示される。前作『ザ・リバー』はそうではなかった。そこに登場する人々や動物は豊かな表情を持ち、私たちと同様に1度きりの生を生きる存在として描かれていた。しかし本作のキャラクターは、神話的な原型としての存在なのである。前作と比べて抑制された、それでいて劇的な色彩も本作のプリミティブさを強調している。ほとんどダンセイニ的な神話世界の物語であると言ってしまっていいだろう。

また、注目に値するのは、ジェッペットや空色の髪の妖精といった、ピノッキオの世話を焼く親のような存在が登場しないことだ。そのため原ピノッキオは、私たちが知っているピノッキオとは違って、いたずらをすることも、嘘をついて鼻が伸びることも、怠惰さゆえに罰を受けることもない。

では、サンナの物語において“ピノッキオらしさ”はどのように担保されているのだろうか。

コッローディの物語を振り返ってみよう。一本の棒きれからあやつり人形として成形されたピノッキオが真っ先に行ったのは、走ることであった。ジェペットさんの手をすり抜けておもてに飛び出すことであった。

サンナの物語でも、原ピノッキオは二本の足の使い方を知ると一目散に駆け出した。まるで流れ星や雷のように。

走ること。それこそが“ピノッキオらしさ”なのである。本作のカバーにおいて、原ピノッキオ(とその影として描かれたあやつり人形のピノッキオ)が走っているのはそのためだ。

そこでまた私たちは問うだろう。コッローディの、そしてサンナのピノッキオはなぜ走るのか。

簡単な話だ。つまるところ、子供というのはとにかく走り出してしまうものなのである。生命のエネルギーがそのように表現される時期が、人生には存在する。

ピノッキオは、駆け出さずにはいられない子供なのだ。そして誰もがその人生のうちに、ピノッキオになる瞬間を、あるいはその可能性を有する。そういうことなのだと私は思う。

本作はコッローディの物語から、汗の匂いのする社会性ではなく、走ること――無垢な衝動とその喜びを抽出し結晶化している。アートについても同様のことが言えよう。水気たっぷりな水彩はサンナの完全なコントロール下にはなく、気まぐれに滲む。だが彼は偶然を恐れない。その絵筆はピノッキオのごとく軽やかに走る。

本作を読めば、あなたもきっと思い出すはずだ。ピノッキオだったあの頃のことを。

About Author

しげる

1990年生まれ。趣味は本を買うこと。始めて海外マンガを買ったのは地元のセブンイレブン。バンブーコミックス版の麻宮騎亜『BATMAN CHILD OF DREAMS』(竹書房、2005)でした。好きな作家はニール・ゲイマン。『サンドマン』(インターブックス、1998~1999)の邦訳が途絶えていたため、原書を読むようになりました。海外マンガに関するブログ「鳥なき島より」を放置しています。

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