『フォトグラフ』~越境する医師たちと写真家の冒険~

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「技術的にうまい写真が撮れるからって、”いい写真”が撮れるわけじゃない。本物のいい写真ってのは、目玉をひんむくくらいの気持ちで撮らないと。だからおれは自分のすべての力を出し切って写真を撮ろうと思うんだ。いい写真が撮りたいからね」
「じゃあ、そもそも”いい写真”ってなんなんだ?」
「おれにもわからない」「追求する。追求し続ける、ずっとずっと」

-『フォトグラフ』P.65 主人公の写真家ディディエと医師レジスの会話より

エマニュエル・ギベール著、ディディエ・ルフェーヴル原案・写真、フレデリック・ルメルシエ彩色『フォトグラフ』(大西愛子訳、小学館集英社プロダクション、2014年)

1986年、本作の主人公である写真家(フォトグラフ)のディディエ・ルフェーヴルは、国境なき医師団(MSF)に同行し、隣国パキスタンから国境を越え、戦地であるアフガニスタンへと向かう。

当時は、ソ連がまだ健在で、ソ連の支援を受けたアフガニスタン政府、それらと対抗するゲリラ組織のムジャヒディン達が戦争を行っていた。

国境なき医師団(以下MSF)とは、紛争や災害、貧困などによって命の危機に瀕している人々に医療を提供する、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体。医師や看護師を始めとするスタッフが、世界70の国と地域で援助活動を行っている。

本書の特徴は、写真家であるディディエ・フェーブルが現地で撮影したモノクロの写真群、BD作家エマニュエル・ギベールが描いたアート(コミック)のパート、そしてディディエが実際に体験したアフガニスタンへの旅と現地の体験に基づくストーリーの組み合わせから構成される特異な作品となっている。つまり、戦時下のアフガニスタンに潜入した写真家のドキュメンタリーを、そこで撮影された写真とコミックの両者によって再現している。

斬新な形式であるため、最初はなかなか読むのに骨が折れたというのが正直な感想。だが序盤を乗り越え、読み進めると、この形式でなければ描けなかった、唯一無二のBDであるとの確信が深まる。

負傷したムジャヒディンの治療を行うMSFの医師たち。写真とBDが融合した唯一無二の形式(P.116)

本作のストーリーは、大きく三つに分けられる。最初が隣国パキスタンからキャラバンに同行してアフガニスタン国境を越えるパート。次がアフガニスタン国内でMSFのスタッフ達がアフガニスタン国内の人たち・主に戦争により負傷した人々を治療するパート。最後が主人公のディディエが単独でパキスタンに向かって悪戦苦闘しながら戻るパート。

戦場とカメラマンという言葉から、一般的には兵士達に混じって最前線で戦争を撮影する光景を思い浮かべてしまうが(例えばロバート・キャパが第二次世界大戦中のノルマンディー上陸を撮影したように)、本作はそういった戦いをドラマチックに描くものではない。戦争は行われているが、MSFはその活動の主旨から前線ではなく、後方にて医療活動を行う。よって同行した写真家もどちらかというと、アフガニスタンでの人々の日常生活や医療行為を中心に撮影することになる。

戦争の生々しい光景といったものは本作ではほぼ描かれない(ソ連軍やアフガニスタン政府軍との直接の接触はない)。ただし、戦争の影が全くない訳ではない。間接的ながら、戦いにより負傷したアフガニスタンの人々や、遠くから聞こえる砲声、開けた土地でソ連軍のヘリコプターを警戒しながらの横断などが、戦時下にあることを教えてくれる。

ソ連軍のヘリコプター攻撃を避けながらの峠越え(P.89)

本作で一番冒険的な部分は、パキスタンからアフガニスタンに渡るため、標高5,000m以上(富士山より高い)の険しい峠を、馬や徒歩で1ヶ月かけて渡る場面だろう。主たる道はソ連軍や政府軍により押さえられているため、キャラバンは敵対する彼らを避けて劣悪な道を通らざるを得ない。その険しさにより、途中何頭もの馬やロバを失うこととなる。当然人間も疲弊していく。

主人公のカメラマンの目を通して、アフガニスタンの光と影、多面的な姿が捕らえられる。厳しい自然と美しい景観。立派で高潔な部族の長や、信心深い人たち。金をせびる卑劣な同行者や警官たち。負傷したムジャの戦士たち。離れたところで行われる戦闘と、貧しいが比較的平和な日常のある地域。様々な容貌を持つこの国を、写真とコミックの両者が描き出す。

カメラが切り取る写真。面白いことにカメラマンのディディエ自身が、疲労していたり、危機的状況にあったり、追い詰められた時に、不思議と素晴らしい写真が撮れている印象がある。特に帰還途中、死を覚悟した時に撮られた数枚の写真の迫力には特筆すべきものがある。また、彼が撮影したアフガニスタンの男達はどれもいい顔をしていて、忘れがたい。

味わい深いアフガニスタンの男たちの顔(P.48)

MSFという組織については、名前は聞いたことがあったが、その実態には本作で初めて触れることになった。その名前から、理想家肌の医者たちを想像していたが、それほど単純ではない実像に触れることになる。

本作の彼らは、フランスやアメリカなどの先進国出身の医者たちで、高い技術を持つ専門家であり、劣悪な環境下においても医療行為を続けられる経験を積み、厳しい状況での活動を厭わないタフさや、戦場や貧しい地域へ貢献する意思を持ち合わせている。現地の人々からも自然と敬意を抱かれている存在である。

それにしても医者や医学というのは、専門家・技術者として本当に普遍的な力を持っていることを実感した。どの時代、どの地域、どの状況においても、近代医学は必要不可欠であることを思い知る。日本でも歴史的に近代化の端緒は、江戸時代の蘭学者、とくに医師たちから始まったことに思い至った。

彼らに近い存在として、評者には、日本からアフリカの最貧国へ農業技術専門家として派遣され灌漑技術の指導に何年も献身している友人や、東南アジアへ土木技術専門家として派遣され洪水から国土を守る活動を行った知人がいる。彼らは専門知識とともに、現地の人々や文化への理解が深く、相手国でも尊敬を受けている。日本が真に誇るべきは、彼らのような地道ながらも相手国への貢献を行う人々ではないかと個人的には思う。

巻末の登場人物の経歴を見ると、MSFの人々は現在までの経歴が分かっているが、アフガニスタン側の人々は途中でほとんどが消息不明となっている。戦乱が継続的に続く彼の国の厳しい状況を物語っている。またこれだけ過酷な旅と体験をした主人公や医師たちが、何度もアフガニスタンへ渡っている不屈さには心底驚かされる。

国境の峠で遭難しかけた写真家ディディエ渾身の一枚(P.225)

30年以上前のアフガニスタンという国を描いた実録BDである『フォトグラフ』。本作は時代を越えた貴重な記録であり作品である。BDが切り拓く未知の可能性や、ドキュメンタリーとコミックの融合の面白さに関心のある人には必読の作品。本屋やネットで見つけることができたら是非手にとってもらいたい。値段はそれなりにするが、分量・質ともに期待以上の収穫があるのは間違いないだろう。

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About Author

漫画狂人ホクサイ

74年山口県生まれ、日本の辺境に住む重度の漫画好き。大友克洋先生の『AKIRA』マーベル版の出版や、美術雑誌でメビウスらの記事に触発され、海外コミックに興味を抱く。最初に買った海外コミックは「HEAVY METAL」誌。バンド・デシネ、アメリカのオルタナティブ寄りの作品や、主流からやや外れた作品を好みます。週末には遠出して映画館か大型書店に出没中。Comic Streetでは、未知の海外作品やコミック好きの人たちと出会える機会を期待しています!

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