ホット・チョコレートを忘れるなよ!―「MARCH 3部作」

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ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン作、ネイト・パウエル画「MARCH3部作」(岩波書店刊)について書かなくてはなるまい。

そう、これは書かなくてはならないアメリカのマンガなのだ(コミックスと呼ぼうが、グラフィック・ノヴェルと思おうが、それはあなたの勝手です)。なにしろ、「MARCH」は3冊で700ページの内容で、あとの巻ほどページが増える(私に言わせれば)勉強マンガである。

私は子どもの頃から、秋玲二というすでに故人となったマンガ家が、1938年ごろから描き続けてきた「よっちゃんの勉強漫画」というシリーズに親しんで育ってきた。それは日常生活で見うけるさまざまな「なぜ?」について、1ページ1エピソードで簡潔に記されていた。そしていま、大長編の勉強マンガとして「MARCH」が日本に堂々と〈行進〉してきて日本語版が出たのである。

内容は、1960年代を中心とするアフリカ系アメリカ人たちの公民権獲得運動の歴史をていねいに描いている。ジョン・ルイスを中心とする彼らの非暴力の戦い、南部アラバマ州への行進に対し、現地の警官たちは、銃撃し、ダイナマイトを投げ、殺してしまっても罪に問われない。その状況、歴史が、具体的にマンガで(というより絵物語的な要素も強いが)つづられていく。なかでも、少女を含む女性たちマーチの参加者の姿には、胸をうたれる。少女たちも、警官によって殺されてしまうのだ。

思えば1960年代のなかば、私がNHKの教育局で、テレビの英会話番組を担当していたとき、たまたま来日中の日系アメリカ人の夫婦に出演してもらったことがある。まだアメリカに行ったことのなかった私は、彼の地での様子をきいた。男は言った「南部に行くときは、気を付けたほうがいい。自動車で走っていくと、うしろから銃で射ってこられることもあるんだ」。アフリカ系ではなく日本人に対しても? と私はそれをきいて半信半疑だったが、この「MARCH3部作」を読んで、彼のはなしは本当だったにちがいないと、今さらながら感じたのだった。

この3部作には、マルコムXやキング牧師、ロバート・ケネディなど、後に暗殺された人たちも登場するし、物語の途中に、はなしを現代に飛ばし、オバマ元大統領なども登場させている構成は、巧みだ。ジョン・F・ケネディ暗殺後、彼を引き継いだリンドン・B・ジョンソン大統領が、公民権運動を成功させようとするが、選挙がらみで、それをちょっと押さえようとしたことも、「MARCH」には描かれている。

このあたりについて、有効な補助線になるので、ぜひごらんいただきたいのは、最近公開されたロブ・ライナー監督によるアメリカ映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」である。彼は、ヴェトナム戦争には関心がなく手をこまねいていたが、東部出身のお坊っちゃんのJFKとは違って南部出身の彼は、公民権運動をつぶしたい南部のドンで、LBJとは長いつきあいの男にむかって、「あんたは差別主義者だ」とついに断言してみせる場面がある。

この南部のボスは「ケネディよりLJBのほうが手強かった」と後に語ったそうだが、この男が「MARCH」に登場していたのかどうか、私にははっきりしない。そうしたことも含め、実は公民権運動の歴史を知るには、この「LBJ」という映画のほうが、むしろ(日本の)マンガ的なストーリー展開でわかりやすい面もあると記しておく必要があろう。結局、LBJが公民権法案を通すのだ。

「MARCH3部作」を、私はじっくりと読んだ。すばらしい作品だが、日本のマンガとは描きかたは異なる。読売新聞7月15日号の書評欄で、経済学者・慶大教授の坂井豊貴氏が「MARCH3部作」を絶賛しているその指摘に、私は同感する。そして同時に、日本のマンガ(世界一読みやすいページのコマ割りを完成させてきたのが日本のマンガなのである)を読み慣れていればいるほど、「MARCH」は読みにくいかもしれないと、思うこともある。私の推薦する海外マンガはすべて買ってくれている日本漫画家協会の理事のひとりである女性は、「『MARCH』は買ったけど、読むのに手こずったわ」と私に語った。アメリカの公民権運動の研究で知られる私の知人の女性翻訳家は、私が「MARCH」の日本版を手渡すと、さっとページをひらいて、すぐ私に返してきた。読みにくいと直感したのだろう。

つまり、日本のマンガに読み慣れた人ほど、この作品は読みにくい。しかし、日本マンガにそれほどなじんでいない者には、描写が具体的で、大画面など工夫がされているから、読みやすいのではないか。とにかく(アメリカの)マンガなのだから。

私が最も好きなのは、3部作の第1巻「非暴力の戦い」の13ページ目だ。2009年1月20日、早朝の首都ワシントンの状況が描かれる。ラジオが「皆さん、外は極寒です」「帽子、手袋、マフラー/ホット・チョコレートをお忘れなく!」と告げる場面だ。

なるほど、寒い日にはホット・チョコレートとは、アメリカらしいなと私は笑った。フランスならばココア(ココアとホット・チョコレートは違う)なのかなと想像した。この第1巻の最初の数十ページは、日本のマンガに似た描きかたで、コマ割りがおおげさではないので、読みやすく印象に残っている。実は、こんななにげないちょっとした画面やセリフがこころに残るのが、マンガというものなのではないかと、私は感じている。

「マーチ3部作」は、図書館に備え、若い人たちに読まれるべき勉強マンガだ。少なくとも私の住む東京北区の図書館には、私が頼んだので入っている。

アマゾンで購入:
『MARCH 1 非暴力の闘い』
『MARCH 2 ワシントン大行進』
『MARCH 3 セルマ 勝利をわれらに』

About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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