移動の感覚と思い出をめぐって―『マッドジャーマンズ』を読む

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人は〈移動〉することで、なにを得、またはなにを失うのだろうか。

そんなことを思ったのは、『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』(ビルギット・ヴァイエ著、山口侑紀訳、花伝社刊)という美しいグラフィック・ノヴェルを読んだからである。その帯には「移民問題に揺れる欧州/ドイツに衝撃を与えた/社会派コミック/モザンビークからやってきた若者たちは、欧州で何を見、何を感じたのか? 3人のストーリーが描く、移民問題の本質」と記してある。

ビルギット・ヴァイエ著『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』(山口侑紀訳、花伝社、2017年)

帯のことばは本の宣伝文句だから、その内容を現在の世界の問題に合わせて読者の気を惹こうと記されているのは当然だが、私の気持ちを騒がせたのは、モザンビークという地名(国名)であった。私はモザンビークに行ったことはないが、アフリカには、2017年の夏から秋にかけて、生まれて初めて十日あまりの旅行をした。

それは、観光旅行だった。観光シーズンとして気候のいい8~9月にかけて、南アフリカのその頃だけ小さなきれいな花を咲かせる地域を観光バスでめぐり、隣接する国にはいってヴィクトリアの滝を見たり、喜望峰の海や、象やライオンやワニなど野生動物の群が見られる国立公園を、バスや船で行く。初めて南アフリカの国々をまわりながら、私は50年以上前のことを思いおこしていた。

1963年4月に私はNHKの教育局にはいったのだが、翌1964年に東京オリンピックの渉外要員として、海外からやってくるテレビやラジオの取材者たちを補佐する仕事にまわされた。そしてさらに1965年には、日本賞の事務局に駆り出された。この年 NHKは、ラジオやテレビの国際的な教育番組のコンテストである日本賞という企画を初めて催したのだった。国際基督教大学卒の私は、英語が使えるだろうというので、日本賞の翻訳班に出向させられた。世界各国から送られてくる応募番組の資料を翻訳する仕事である。私にとってありがたかったのは、NHK国際局から来た翻訳のベテランの人が上にいたことだ。彼は、みなの翻訳のチェックをしてくれる。私は、この人に認められる訳をしたいと努めた。彼は、私の訳文をほめてくれた。私が、どうしてもうまく訳せない部分があるので持っていくと、彼はそれを見事に訳されるので、私は敬服し、自分の英語力の未熟さを思い知った。しかし、いかにわかりやすくきちんとした日本語に訳すかというこのときの訓練は、その後の私に非常に役立った。

そのときの思い出のひとつに、ローデシアから届いた番組資料があった。大英帝国が支配している国の放送番組の内容なのだが、なんだか教訓じみた一種の寓話で、つまるところ、白人の支配を正当化する教育番組なのだと、私は翻訳班の仲間たちと話しながら、違和感を抱いたことを覚えている。

つまり、現在も続いている日本賞には、当時のローデシアからも番組の応募があったということなのである。その旧ローデシアの地域を、2017年に私は観光旅行してきたことになる。そこで私は、アパルトヘイトをなくすために戦った有名な政治マンガ家が、いまも毎日、新聞に諷刺マンガを発表していることなどを、旅行中に知ったのだった。

モザンビークについては、1970年代の初め、NHKの国際局渉外部にいたとき、ラジオ・ジャパンの英語の国際放送用の番組テープを、この国に送ったことを覚えている。英国のBBCがそうしていたように、NHKも海外へ番組を無償で送っていたのだ。

しかし私は、『マッドジャーマンズ』によって、1970年代に、当時の東ドイツに、モザンビークから何万もの男女の若者たちが、労働力として送られ、その後帰国しても、東ドイツが支払った賃金の多くは、モザンビーク政府にとられてしまっていたといった事実を、初めて知ったのだった。

1979年以降、旧東ドイツには2万人ものモザンビーク人が滞在した。作者はかつてドイツで生活した多くのモザンビーク人にインタビューし、この物語の主人公の3人、ジョゼとバジリオとアナベラを造形した

このグラフィック・ノヴェルは、私の初めてのアフリカへの旅と、放送局に勤めていた私の過去の思い出とを結びつけてくれたのである。2017年11月30日、私は凸版印刷のギャラリーで、毎年この時期に催される「世界のブックデザイン」展のオープニングに出かけた。このとき私は、たまたまその日に入手したばかりの『マッドジャーマンズ』の本を手にしていた。

この「ブックデザイン」展には、毎年恒例として、ゲーテ・インスティテュート(ドイツ文化会館)の図書館長(いつも女性のようだ)が来られてあいさつをする。私は彼女に『マッドジャーマンズ』の日本語版を見せた。

「ああ、これは知ってるわ。でもね、これ、いまのドイツの話と思われるとちがうのよ。ドイツの歴史のある時期に、たしかに起きたことなのですけど」と、私に説明する。「この茶色の色づかいも、とても美しいわね」と。

『マッドジャーマンズ』で私が注目するのは、モザンビークから東ドイツに働きに出された人たちの、一種の〈移動〉の苦しみを描いたというほかに、ドイツ人である作者の女性が、1969年ミュンヘン生まれなのだが、幼少期をウガンダとケニアで過ごした―という事実である。彼女自身も、アフリカに〈移動〉していた時期があったことが、この作品に特別の意味を与えているように思われてならない。

作者幼少期のウガンダへの引っ越しの記憶

その意味とは、この作品が示す多様な自然の風景描写である。このコミックスは、黒のペンによる描線と、茶色い色でなりたっているが、茶色は、登場人物たちが触れる移動した場所ごとの自然を描くのに用いられて、美しい効果をあげている。

それは、もちろん季節ごとの樹木であり、草花であり、なによりも昆虫たちであり、そして動物たちである。この作品に登場する人々は、さまざまな不当なあつかいを受けてしまう。女性たちは、子どもを生むことを許されない。男性たちも、結婚できない……。だが、さまざまな苦しい状況の描写の積み重ねを経て、なお読みながら私の気持ちにはいりこんで根を生やしていくのは、茶色で彩色された自然のありかたであった。遠い樹木もすぐそばの虫たちも、おだやかな流れとして、私のこころにはいり、住みついていくような味わいがある。

茶色で彩色されたドイツとモザンビークの風景

不本意なものであれ、本意なものであれ、人びとの思い出を形づくるのは、人びとの周囲の自然の姿なのではないか。それが人を生かし続けてくれるものかもしれない……。それは、私自身に即していえば、いまは失われた私の子ども時代の家の庭の風景に重なる。コスモスが咲き乱れ、夜には月見草が花ひらき、柿の木の下にはカラスが来て、熟した柿をたべていく。長いさおで柿の実を落としながら「少しはカラスに残しておかないとね」と、向いの家の主人と会話をした日々を、私は思いうかべる。

『マッドジャーマンズ』は、自然と人間についてのコミックスと言ってもいい。人々の記憶とはどういうもので、記憶によって人はどう生きていくのか―そうしたことを感じさせることによって、『マッドジャーマンズ』は、文学作品であると言えるのではないか。それは、作者の幼年時代の〈移動〉体験によって接した自然の記憶につながってもいるのだろう。

2016年に邦訳版が刊行された、やはり女性作家であるゼイナ・アビラシェドによる『オリエンタルピアノ』も、〈移動〉の物語であった。彼女は、マンガの本屋が一軒しかなかったベイルートで、内戦のさなか、子ども時代をすごし、だがコミックスに目ざめて、内戦が終わるとパリに〈移動〉し、BD作家として、これも一種の文学作品を生みだしていったのである。
※『オリエンタルピアノ』の作者ゼイナ・アビラシェドのインタビューはこちら。

ゼイナ・アビラシェド『オリエンタルピアノ』(関口涼子訳、河出書房新社、2016年)

ゼイナ・アビラシェド『オリエンタルピアノ』(関口涼子訳、河出書房新社、2016年)多くのマンガ家は、海外などへ〈移動〉するとき、目にしたものをスケッチブックに描いていくが、ゼイナ・アビラシェドは決してそうしないそうだ。「私は旅行しても、絵のスケッチは決してしないで、ノートにいつも、文章でメモしていくのです」と彼女は私に語った。いわば彼女は、文学者たちと同じように、文章で自分の想いをメモしていることになろう。『オリエンタルピアノ』の場合は、全ページ明快な白と黒の描写で、中間の灰色は決して用いない。だがそこにはイメージの意図的な反復によるリズムがあり、動きの連なりを体感させ、もちろんそこからは、音楽が聞こえてくるように感じる。文学的なグラフィック・ノヴェルが、いま、世界のあちこちから生まれつつあるのを、『オリエンタルピアノ』や『マッドジャーマンズ』を読みながら、私は感じている。

〈移動〉の感覚が、人を、作品を、みずみずしくさせているのかもしれない。

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About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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