アレックス・アリス『星々の城』を読んで

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1.エーテルの時代の宇宙への冒険

『星々の城(1)1869年:宇宙の征服』の最初のページをめくっての見開き画面が、まず私のこころを捕えてしまう。

アレックス・アリス『星々の城(1) 1869年:宇宙の征服』(原正人、双葉社、2018年)

いま、まさに気球が離陸しようとしている。それはガス気球だ。当時の気球の球皮のなかに吹きこまれるのは、水素だったが、これは活性ガスなので、火によって爆発してしまう。1930年代の、あの巨大なガス飛行船ツェペリン号も、水素ガスに満ちているので、爆発の危険性が高かった。現在のガス気球の内部は、不活性のヘリウムなので、爆発はしない。

『星々の城(1) 1869年:宇宙の征服』
最初の見開き

私は、ガス気球を自分で操作する資格は持っていないが、熱気球を操作する熱気球操縦士(パイロット)の資格は、日本気球連盟のテストを受けて獲得している。1980年代のことである。

フランスのアノネイの街で、モンゴルフィエが最初に飛ばした気球は、空気を熱して紙製の球皮のなかに送りこんで浮上させる熱気球だった。アノネイの街は製紙業がさかんなところだったので、丈夫な紙の球皮を作ることができたのである。

2.気球の歴史とは?

モンゴルフィエが最初の熱気球の浮上に成功した1783年から200年後の1983年に、やはり気球旅行にゆかりのある作家ジュール・ヴェルヌの博物館のあるフランスのナントの街で、特別に熱気球の世界選手権が催され、私も日本の熱気球チームのクルーとして参加した。その途中、アノネイの街では、モンゴルフィエの子孫の家に泊めてもらった思い出がある……。

前置きが長くなったが、『星々の城』の開巻で、水素ガスの気球でフライトするのは女性である。それで宇宙空間まで行けると彼女が信じるのは、上空にはエーテルが満ちていて、そのパワーで月へも行けるといわれていたからである。

女性パイロット、クレール。
主人公セラファンの母親でもある

つまり、このフランスの長編BDは、かつて科学者たちも信じていた〈エーテル〉のちからによって、宇宙飛行ができることを前提として、物語が展開されているようだ。するとこれは、空想の〈エーテル〉の時代が、現在までも途切れることなく続いている、もうひとつの地球をめぐる物語なのではないか―とも思えてくる。いま私がこの文章を書いているとは別の次元へ、地球の歴史が枝わかれしていって、そのもうひとつの地球の歴史を、このBDの作者は細部に〈真実味〉を与えながら、じっくりとつづっていくつもりなのかもしれないが、私の考えは誤りかもしれない。

私は、この勇気あるガス気球の女性パイロットに惹きつけられる。知的で勇敢な彼女は、宇宙をめざす。エーテルがあるから大丈夫なのよ―と信じて。そして、消息を絶った彼女の息子が、新しく気球と飛行船で宇宙にむかう。なんとその作戦には、自分の父親や、エーテル時代の覇権を狙うドイツのビスマルク宰相や、「現実世界なんかどうでもいい。おれはもっと高みを目ざす」と、本気になって優雅というか、狂気というか、ゆうゆうと少年の宇宙計画に参加するルードヴィヒ狂王がいる―この〈宇宙の征服〉ご一行のメンバーのにぎやかさは、ちょっとほほえましい。

狂王というあだ名で知られる
実在したバイエルン王ルードヴィヒ2世

私はこの「宇宙の征服」(フランス語でLa conquête de l’espace)ということばが好きだ。英語ではThe Conquest of Space(『宇宙の征服』)というタイトルの本が刊行されたのは、第二次世界大戦後まもなくで、イギリスの宇宙旅行研究家のウィリー・レイによるこの本の日本語版が、白揚社から出ると、私は夢中になった。

3.アメリカ映画の「宇宙征服」とは?

文章よりも、そこに収録されているアメリカの〈天体画家〉として知られるチェズリー・ボーンステルによる天体画が、大きなカラーで多く収録されていたからだ。

月世界の風景、土星の衛星タイタンから眺めた土星―それが、当時の天文学的正確さで描かれ、私は夢中になった。

アメリカで、世界最初のテクニカラーによるSF映画『月世界征服』(パラマウント映画)が、ジョージ・パルの製作によって作られ、日本で公開されたのは、私が小学校6年のときだった。母に連れられて見た東京・渋谷の映画館で、私はSF映画にめざめたのだった。

ジョージ・パルは、続いて『地球最後の日』(1951)や『宇宙戦争』(1953)を製作、どちらにもボーンステルの天体画が一部用いられていた。さらに彼の映画『宇宙征服』(1955)が公開されたときも、もちろん私は見に行ったが、『宇宙征服』(The Conquest of Space)というタイトルにもかかわらず、これは宇宙ステーションを経て、宇宙船が火星に行くという内容だった。

4.日本のマンガの感化か?

1979年、私はついにカリフォルニアへ行き、カーメルという街に住む90歳のチェズリー・ボーンステルを訪ねた。彼は土星の絵を描いている途中だったが、思ったよりずっと小さい絵だった。続いてロサンゼルスに住むジョージ・パルを訪ねると、家の車庫の壁には、『月世界征服』で用いたボーンステルの月面の絵のパネルが飾られていた(このときのふたりへのインタビューは、当時創刊された『SF宝石』という雑誌に載った)。もちろん、ふたりとも、もはや亡い。

そしていま、『星々の城』というフランスのBDが登場し、このなかに宇宙へむかう飛行船が、まるで(日本でいう)紙ヒコーキを折ったように細長いな―と思ったら、その詳細な設計図が示され、まさしく色紙で折った(もしくは割りばしにボール紙をくっつけた)飛行機みたいなので、すっかり楽しくなった。そして、これは日本のマンガと違って、BDスタイルで描かれているので、主人公をはじめ、ルードヴィヒ王など登場人物の表情、からだつきにはあまり誇張はなく、リアリスティックに描かれているのに対し、ハンスという学歴のない少年だけが、団子っ鼻で、口も大きく、目の描きかたも誇張した、つまり日本のマンガ式なのに気がついた。

エーテル飛行船シュヴァンシュタイン号の設計図

ことによったらアレックス・アリスは、このハンスだけは、日本のマンガ式のキャラクターとして描いたのかもしれない。ハンスも非常に勇敢な、一種の職人気質の少年のように感じるが、BDのなかで彼だけ〈マンガ〉に見える。

ハンス(左)とセラファン(中)とゾフィー(右)

月へ行くと、惑星の模型がごろごろあるし、エーテルのおかげで、地球から月へも火星へも、すぐに行けそうで、すでにルドウィヒは、火星に到達しているのかも……。

月を飛び立つルードヴィヒ王を見守りつつ、
地球へと向かう主人公たち一行

全体に上品で渋い彩色のしかたが目にやさしい。空想の〈エーテル〉時代の細部は、すべてメカ類の設計図のように、ていねいに準備して描いていて、このBDは、こうした飛行体などのメカ描写へのこだわりが、はんぱではない。

私の願いはただひとつ。どうかセラファン少年の母親が生きていて、主人公に再会させてほしいということだけである。それにしても最初の3ページにしか描かれていないこの母親が、これまでのところ、私に最も強い印象を与えていて、彼女の不在のイメージが、どんどんふくらんでいくのに、自分でも驚いている。いずれ、火星人など出てくるであろうが、どんな姿に描かれるか、楽しみにしている。

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About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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