色彩がどんどん増えていく『見えない違い 私はアスペルガー』の新しく楽しい実験

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『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』というマンガを出版して、「こんなマンガもあるのだ」と私を驚かせた花伝社が、続いて出したフランスのコミックス『見えない違い 私はアスペルガー』を刊行し、またしても私を別のマンガ分野の世界へと旅立たせてくれた。

ジュリー・ダシェ原作、マドモワゼル・カロリーヌ作画、原正人訳によるこの日本版は、まずその色彩の用いかたで私の興味をひく。全190ページあまりの本書は、フルカラーのコミックスとして刊行されたのだと思うのだが、初めから華麗な彩色がなされているわけではない。

ジュリー・ダシェ&マドモワゼル・カロリーヌ『見えない違い 私はアスペルガー』(原正人訳、花伝社、2018年)

最初のページには、若い女性(マルグリット27歳)がひとり樹の下で休んでおり、そこに目につくのは彼女の運動靴の赤い色だけだ。実際には他の色彩もしのびこませているようだが、最初の4ページは彼女の靴や靴下、すれ違う別の女性のバッグなどの赤色だけが目につき、5ページの彼女の住むビルの彼女の部屋だけが黄色に彩色されている。それから33ページまで、目につくのは、ことばの吹きだしやエレベーターの階を示す数字や、人々の声やさまざまな擬音などが赤色で示され、他の色彩は意図的に(存在するが)殺されている。このとき、セリフの文字が、うす赤のうえにさらに赤く記されているので、文字は必ずしも見やすいとは言えない。

『見えない違い 私はアスペルガー』の
本文1ページ目

しかし、こうした室内・室外の風景とことばに対するこの作者の色彩感覚は、通常のBDにはあまり見られないもので、例えば16-17ページの見開き画面は、背景も赤くしてしまうといった、一種の〈色彩心理学の〉実験を感じとることができる。

『見えない違い 私はアスペルガー』
P16-17

そうした〈朱色の研究〉を続けながら、コミュニケーション下手な彼女と、彼女をとりまく世界が描写されていく。そして、34ページ目になると、彼女の赤い靴だけ赤く、ここに青色のやすらぎがマンガのコマを支配するようになって、彼女は飼い猫2匹と犬1匹とともに「やっと一息つけました」となる。そんなふうに、色彩を意図的に限定し、吹きだしをうす赤で、文字(ことば)は濃い赤でその上に記すなど、読者にとっては必ずしも読みやすくはない同色のかけあわせで、会話を〈描出して〉いく。それに、レモンジュースの黄色が、ほんのひとこま描かれたりする―というふうに、ページが進み、彼女のかかわる世界と人間関係が多様化すると、色彩は増し、緑色が画面を占めていく。

『見えない違い 私はアスペルガー』
P34-35

そして、冬景色の孤独から、30歳になった主人公は、緑豊かな花咲く春の暖かい風景のなかで、再び木の下でくつろぐ。彼女の孤独の冬から、自分の成長を示す春の豊かな色彩のなかで、輝くようになる―と、私は勝手にこのBDの色彩に注目して読み進んできたが、これはアスペルガー症候群とはなにかを読者に啓蒙するマンガなのであり、通常のBDとは物語の構成が違っている。そして、彼女をとりまく色彩の変化を追うことで、私たちは彼女の世界を理解していくのだろう。そのBDとしての新しい試みが楽しい。

いっぽう、終わりのほうで、うすオレンジ色のうえに少し濃いオレンジ色で記したことば(特に191ページの文字)は、少なくとも私には恐ろしく読みづらかった。この文字をすぐに読めた人はおいでかしら? ともあれ本書は、色彩の引き算と足し算をさまざまに工夫しながらアスペルガー症候群について、いろいろ教えてくれて、私たちを主人公とともに、段階的にくつろいだ気分にさせていくという、工夫に満ちた意欲作である。私はいわば、迷路のゲームを初めは手探りで、そして次第に光が射す出口が見えてくるこのBD体験(色彩の冒険)を楽しんだのでした。出口の光は、まばゆいばかりなのです。

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『見えない違い 私はアスペルガー』

About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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