コミックス・ジャーナリズムの気鋭―サラ・グリデン『60日以内でイスラエルを理解する方法』

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おそらくイスラエルという国は、日本にいるよりもアメリカにいるほうが近く感じる。その理由はイスラエルとアメリカという国の関係の近さ、もっとはっきり言えば、イスラエルの背後にあるアメリカ支援と(中東地域に対する)覇権、そして米国メディアにおけるイスエラルおよびパレスチナ情勢に関する報道の多さである。とはいえ、一般のアメリカ人がイスラエル(そしてパレスチナ)についてどこまで理解しているかは疑問だ。中東地域で歴史的な長さで積み重なった諸問題だけでなく、いまその土地で暮らしている人々が、どのように考えたり、感じたりしているかは、マスメディアを見ているだけではわからない。その「よくわからなさ」は、日本にいようが、アメリカにいようが、同じ程度に共有できる感覚であろう。それはアメリカにいるユダヤ系の人々、とくに若い世代にとっても同じようなものである。

サラ・グリデン『60日以内でイスラエルを理解する方法』(Sarah Glidden, How to Understand Israel in 60 Days or Less, Vertigo, 2010)

この問題に真正面から立ち向かったのがサラ・グリデンのコミックス『60日以内でイスラエルを理解する方法』(原題:How to Understand Israel in 60 Days or Less、以下『イスラエルを理解する方法』)だ。グリデンは1980年ボストン生まれの若い女性コミックス・アーティストで、この作品がデビュー作である。グリデン自身はユダヤ系のアメリカ人であるが、それほど宗教的信仰が深いわけでもない。むしろ、現代の米国に生きるリベラルな若者として、イスラエルに対する批判的な精神とパレスチナに対するシンパシーを持っている。そんな著者がイスラエルに行って、自らの目で見て、体験し、何が起こっているかを「理解しよう」とした試みをコミックスしたものがこの作品である。

グリデンが利用したのは「生得権ツアー」(Birthright Israel tour)とばれるもので、ユダヤ系、または少なくとも両親のどちらかがユダヤ系の祖先であれば、航空券からホテル、滞在費をほぼ払ってくれ、イスエラルの歴史や文化を学べるというツアー。もちろん、著者はこうしたプログラムの背後にある「プロパガンダ」的な要素にも警戒しており、むしろ逆に利用して、「パレスチナの人々を虐げるイスラエルを糾弾してやろう」という意気込みももって参加する。しかし、著者が経験する旅は、そんな著者の早急な態度に変化をもたらすものだった……。

冒頭は空港に向かう場面から

『イスラエルを理解する方法』の物語は、グリデンがイスラエルを旅する数週間を冒頭から追ったもので、全体としてトラベローグ形式のメモワールとなっている。この作品は、グリデンがツアーを通して出会う人々やツアーガイド、イスラエル人の若い兵士たちの話を通して、イスラエルの歴史的、政治的、文化的な風景を、著者が考えたこと、感じたことを含めて描きあげていく。グリデンのスタイルは、ペンで描き込んだあとに水彩絵の具で色づけしたもので、ペンの動きだけでなく、絵の具が生み出す色のムラが、この作品が「手描き」であることを強調し、その物語内容をパーソナルな感覚とともに伝えることに成功している。

「60日以内でイスラエルを理解する方法」というタイトルは、当然ながら、皮肉めいたものであり、そもそも不可能な試みである。にもかかわらず、グリデンの作品は、新聞やマスメディア、ウィキペディアとは異なるかたちで、読者をイスラエルの風景へと力強く導く。それはメディアが送り出す断片的な情報ではなく、文字と絵、そして想像力を利用したコミックスというメディアが作り上げる物語化の力であり、グリデン自身の思い込みへの反省やためらい、そして感情的な率直な発露のためであろう。読者の私たちが目にするのは、彼女の認識と感情のフィルターを通して見たまたひとつの「イスラエルの現状」なのだ。

こうした意味において、グリデンの 『イスラエルを理解する方法』は、ジョー・サッコやテッド・ロールといったコミックス・ジャーナリストの系譜に分類できるだろう。一般のジャーナリズムとは異なりコミックス・ジャーナリズムは、主観的で物語化を伴うものである。しかし、それはイエロー・ジャーナリズムとは違い、地理的にも歴史的にも離れた場にいる読者を「現場」に引き寄せる力を持つ。

ジョー・サッコ『パレスチナ』(小野耕世訳、いそっぷ社、2007年)

主観性や物語性を重んじるジャーナリズムに批判的な向きもいるかもしれない。だが、逆説的に聞こえるかもしれないが、グリデンのコミックス・ジャーナリズムのほうが、客観性や事実性を全面に打ち出すマスメディアよりも「信用できる」。というのも、グリデンが描くのは「事実」や主張の「(政治的)正しさ」ではなく、著者自身の逡巡や新しい発見、自らの思い込みへの反省などを含めて率直に語った物語だからだ。

例えば、ツアーの途中で、読者はグリデン自身の「想像の法廷」に連れて行かれる。そこは、判事から、被告人、弁護人、陪審員、そしてセキュリティーまで全員がグリデン自身として描かれた彼女の「心の中の法廷」だ。そこでグリデンは、このツアーは「参加者をイスエラル支援へと導く洗脳ツアーなのか、それとも批判も含めて歴史を学ぶ道理にかなった学習ツアーなのか」といった問いに思いを巡らせる。こうした著者自身の逡巡も含めて、ありのままに描きあげる点がグリデンのコミックス・ジャーナリズムの長所だろう。

グリデン自身の「想像の法廷」

一方、マスメディアは、その表向きに主張される「事実性」や「客観性」とは異なり、スポンサーや報道規定(という名の規制)によってフィルター化されたものである。サッコやグリデンのようなコミックス・ジャーナリストは、そのインディペンデントな立ち位置が重要であり、情報が高速に行き交う現在こそ、より価値を持つジャーナリズム形式だと思われる。実際、ジョー・サッコはみずからの作品を「スロー・ジャーナリズム」と呼んだことがあるが、グリデンの作品が持つ力は、テレビやネットのスピードに抗いながら、視覚的な物語として「スロー」に読むコミックス形式内部にある、と言えるだろう。

2016年には『ローリング・ブラックアウト』(Rolling Blackouts: Dispatches from Turkey, Syria, and Iraq)というジャーナリズムに対するコミックス・ジャーナリズム(メタ・ジャーナリズム)としても読める作品を出したグリデン。これからどんな作品を見せてくれるのだろう。目が離せない作家のひとりだ。

サラ・グリデン『ローリング・ブラックアウト』(Sarah Glidden, Rolling Blackouts: Dispatches from Turkey, Syria, and Iraq, Drawn & Quarterly, 2016)

About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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