ジローはカリフォルニア・ロールの夢を見るか―アンソニー・ボーデイン他『GET JIRO!』

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「それほど遠くない未来。ロサンゼルス。または、それっぽいところ。食文化によって完全に支配された世界。他にはほとんど何もない。スポーツ、映画、音楽産業はすべて崩壊し、死に絶えた。国の主な産業はチーズバーガーを作ってお互いに売買すること。シェフは新たな権力となった。権威あるシェフの料理を食す。それが欲望のすべてだった。」

アンソニー・ボーデイン著、アレ・ガルザ、ラングドン・フォス画『GET JIRO!』(椎名ゆかり訳、誠文堂新光社、2017年)

作品の冒頭で、料理が権力となり、唯一の娯楽となったディストピアに我々は導かれる。その街の郊外のロードサイドに一軒の寿司屋がある。中には、角刈りにねじり鉢巻き、たくましい体躯で腰に大型の包丁を腰に帯びた、日本人寿司職人がお辞儀をして客を迎える。三人のアメリカ人の客がカウンターに座る。最初に出された寿司を、一人の客がシャリの部分を下にして醤油の中にどっぷりと浸してしまう。他の客は、カリフォルニア・ロールがないのかと職人に尋ねる。その刹那、寿司職人が腰に帯びていた大型の包丁が、横一閃に薙ぎ払われ、無礼な客の首をすっぱりと刎ねる。カウンターは血まみれとなり、斬られた首は駐車場に転がり出る。「カリフォルニア・ロールなどない!」大将ジロー氏の登場である。

「カリフォルニア・ロールなどない!」

この街は二人のシェフに支配されていた。一方は、世界中の食を融合させてエキゾチックなテイストを作るボブ率いるインターナショナル派。もう一方は、ローズ率いる有機野菜を使った健康食のみを提供する菜食主義派。シェフは犯罪組織のボスのように君臨し、血まみれの料理戦争が勃発しようとしていた。両組織ともが、ジローを仲間に引き入れようと試みる。

街を二分し、相対する組織。そこに現れる一匹狼。彼を引き入れようと両陣営が画策する。この図式は、明らかに黒澤明監督の映画『用心棒』、もしくはそれを翻案したセルジオ・レオーネ監督の映画『荒野の用心棒』を連想させる。実際ジローは後者のクリント・イーストウッド演じる「名無し」とよく似た役割を果たすことになる。

最初、本作を知った時は、またトンデモ描写の日本人が出てくるアメリカン・コミックのだろうと疑っていたが、原作者の名前に「アンソニー・ボーデイン」の名前を見たときに、これは読んでみなければと心変わりした。

アンソニー・ボーデイン氏は、フランス系アメリカ人、ニューヨークのフランス料理のベテランシェフであり、高級レストランの内幕や料理人のタフな世界を描いた『キッチン・コンフィデンシャル』(2000年、日本では2001年発行)の著作で世界的なベストセラーになり、続編『クックズ・ツアー』(2001年、日本では2003年発行)(邦訳は両作品とも、野中邦子訳、当初は新潮社から、現在は新装版が土曜社から発行中)もベストセラーに。個人的にはどちらも滅法面白かったので、本格的な料理人で文筆の才能もある彼が料理をテーマにしたコミックの原作を書いたというのが大変作品の期待値を上げてくれる要素であった。

アンソニー・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』(野中邦子訳、土曜社、2015年)

アンソニー・ボーデイン『クックズ・ツアー』(野中邦子訳、土曜社、2015年)

料理やグルメを題材にした日本のマンガの場合、一番主流なのは料理を作りあうバトル形式と思われる。TVであれば「料理の鉄人」式に(アメリカでもアイアン・シェフとして放送された)戦うスタイルである。本作の場合は、料理そのものでは戦わない。対立する二つの陣営同士が戦う時は、一方は調理道具、一方は農耕機具を手にした肉弾戦となる(暴力や血が溢れている物語だが、不思議なことに銃器や飛び道具は全く登場しない。独自の世界観を壊さないための配慮だと思われる)。

本作では料理は、戦いの手段ではなく、登場人物の哲学および心情を示すものとして表現される。よって本作では、料理描写はあくまで正確かつ真摯に行われる。

手段を選ばないインターナショナル派を率いる首領でシェフのボブも、仔牛の肉のシチューを作りながら「料理も古典を知り、古典をリスペクトしなければならない」「その後で古典を壊すのだ」と語る。またボブがジローを自陣営に誘う際の料理は、サルガッソー海から北スペインの川まで泳いできた新鮮なシラスウナギ(非常に貴重で高価)をシンプルに炙って塩・胡椒でジローをもてなす。

一方菜食主義派率いるローズは、季節外れの1月にトマトのカプレーゼを出した配下のシェフを、その不作法に対して、喉を切って血抜きし、豚の餌にする刑に処する。ジローには、自作のナツメヤシのパンを振る舞う。

二派の抗争のとばっちりを受けて暴力を振るわれたベトナム料理店店主が、ジローに介抱されながら次のようにつぶやく。「ホー・チ・ミンが料理人だったのを知っているか? ロンドンやボストンに行き、パリではミスター・エスコフィエの下でソースやペストリーを作って働いていた」「でも必要なら戦士にもなった。俺も昔は戦士だったが、今は年寄りだ」彼はジローを戦いに誘うが、ジローは共闘を拒む。

ジローの友人で、どちらの陣営にも属さない秘密のレストランのシェフ、ジャン・クロードは、厳選した材料と、手間のかかる調理法で作ったポトフでジローをもてなす。ジローも満面の笑みで応える。クロードは二派の状況を説明する。「ボブは面白い男だ。よいものを見分ける目を持ち、知識もある。だが、それを他人と分け合う気はない」ローズについては「もし歴史に学ぶとしたら、農場にいるほうが幸せだと思わせる奴には気をつけろってことだよ」。

ジロー自身も、仕入れを行っている魚市場の商人に魚の活き締めを指導したりする。また店のカウンターを長野県木曽産の見事な一枚板の檜で作ったり、腰に帯びている大型の包丁が鎌倉時代の刀工吉光作であることが(ボブの連絡役の口を通して)語られる。

ストーリー自体は、王道かつシンプルな料理・抗争の物語であるが、ボーデイン自身の料理哲学や知識・経験がちりばめられた設定・細部により非常にユニークな作品となっている。アートワークも、リアルかつカラフルで、食材や料理は食欲をそそり、人物はくっきりとした風貌で描き分けられ、暴力的なシーンでは血の色が目に鮮やかである。決してイロモノではなく、良質なエンターテインメント作品である。

「ウマそうだなー」

同時収録の『BLOOD AND SUSHI』は、ジローがアメリカに渡る前日譚で、彼が日本でいかにして寿司職人となり、アメリカに渡ることになったかが描かれる。よりヤクザ物の色が強く、組長の父の跡目を継ぐか、寿司職人になるかで揺れる若き日のジローの物語である。

ちなみに、『GET JIRO!』と一緒にボーデイン氏の前述の著作を平行して読むのもおすすめである。著作から、このあたりの記述がコミックの出典かと想像したり、彼が日本と日本料理に出会うあたりの新鮮な驚きを楽しめる。東京版のミシュラン・ガイドが出たのが10年前の2007年なので、それよりかなり早い時点に彼が東京の食のレベルの高さを知り、世界に紹介(2000年、2001年)していることが分かる。ほぼ偶然であるが、この出会いと彼の慧眼がなければ、『GET JIRO!』は生まれなかったのは間違いない。

シェフ、ベストセラー著述家から、自分の料理・旅番組のTV番組を持つようになって、セレブの仲間入りをし、現在も世界中を飛び回っているボーデイン氏。今回この原作者の著作や背景を参考に『GET JIRO!』の成り立ちと魅力を考察してみました。

なお、評者ホクサイは、お気に入りの寿司屋が最近閉店してしまいショックを受けている。新鮮な地元産のネタと、大将の良い仕事、温かな雰囲気、お手頃な値段で好きだったのに。こうなったら、廻るお店でカリフォルニア・ロールをヤケ食いしてこようか……CHOK!(包丁で首を斬られる音)

それはスシ・エチケット違反…

About Author

漫画狂人ホクサイ

74年山口県生まれ、日本の辺境に住む重度の漫画好き。大友克洋先生の『AKIRA』マーベル版の出版や、美術雑誌でメビウスらの記事に触発され、海外コミックに興味を抱く。最初に買った海外コミックは「HEAVY METAL」誌。バンド・デシネ、アメリカのオルタナティブ寄りの作品や、主流からやや外れた作品を好みます。週末には遠出して映画館か大型書店に出没中。Comic Streetでは、未知の海外作品やコミック好きの人たちと出会える機会を期待しています!

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