『マッティは今日も憂鬱』を読む

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1.マッティは、すぐ描けるのか?

「なぜか日本人にそっくり!? Finlandで大人気!」と帯に記してある『マッティは今日も憂鬱』(うわっ、この〈ゆううつ〉の〈うつ〉って漢字は難しいなあ、と日本人である私もいつも思ってしまうのだが)を初めて手にとったとき、あ、こんな絵なら自分にも描けるな―と、まず感じてしまったのには理由がある。

カロリーナ・コルホネン『マッティは今日も憂鬱―フィンランド人の不思議』(柳澤はるか訳、方丈社、2017年)

もう20年以上も前になるのだが、私は札幌に行くたびに、そこに仕事場を持って暮しておられるマンガ家のいがらしゆみこさんとお会いして、私の行きつけの店で〈北海しゃぶしゃぶ〉を食べたことが何回もある。つまり、うす切りのラム肉のしゃぶしゃぶで、1980年代に札幌に行くようになってから、私はこれが大好きになったからだ(1980年代、毎年夏と冬に帯広の北にある上士幌という町で熱気球大会があり、私は大会に参加する前後に、札幌に寄っていたのである)。そのラム肉しゃぶしゃぶの専門店が札幌のすすきの交差点の近くにあり、そこでいがらしゆみこさんの妹さんや、私が札幌で知り合った人などを交えて、ラムのしゃぶしゃぶを、札幌に行くたびに楽しんでいた時期があったのだ。

その折、私がなにげなくかんたんな絵をいたずら描きしたら、「あ、小野さん、そういう絵はだいじにしたほうがいいわよ。キャラクターとして人気を得ることだってあるから」といがらしさんに言われてしまった。こんな絵です(図をごらんください)。

小野耕世さんが描いた絵

そういうことがあったので、マッティの絵を見たとき、つい自分にも描けるという第一印象を持ってしまった。まず、本の初めのほうに「ご紹介します。こちらがマッティ。典型的なフィンランド人です。平穏と静けさと個人的領域を、とても大事にしています」と記されていたのを読み、まず、この人物は男性なのか女性なのかどっちだろうと思った。初めのページにある絵がかんたんすぎて、どっちともとれる。しかし、ページの上部には英語で説明があり、そこに“MATTI TRIES HIS BEST…”と書かれているので、ああ男性なんだなとわかった次第。

2.マッティの続編はカラフル

さらに、ページをめくっていくと、描かれている人びとはみな同じように見えてしまう。そこで、マッティが主人公であることを示すため、頭の部分の描きかたを違えてある。でも、それは自分のヘアスタイルなのか、帽子のデザインなのか、よくわからなかったが、あとがきのほうで〈マッティ帽〉と記されてあったので、ああ帽子なのか―とわかった。

まあ、そんなふうに私はこのマンガのページをめくりながら〈学習〉していったのだが、とても楽しい読書体験だった。日本での私自身が日々感じているちょっとした違和感や、気おくれしてしまう状況が、どんどんとびだしてくる。レストランでのウェイトレスの態度に、こっちに落ち度があるのかなと思ったり、しまった、余計なことをあの人に言ってしまったな―とあとでひとりくよくよしたり、私自身の日常も、思えばそんなことばかりだ。

「店員さんに冷たくされた。/ぼくの何がいけなかったんだろう。」『マッティは今日も憂鬱―フィンランド人の不思議』より

この絵本のようなマンガが好評だったようで、続いて出た『マッティ、旅に出る。―やっぱり今日も憂鬱』を見ると、カラーのページが多くなっていて、赤い帽子をかぶったマッティの奥さんも登場している。この奥さんのほうが、このマンガの作者であるカロリーナ・コルホネンさんに近いのかな―などと思った。

カロリーナ・コルホネン『マッティ、旅に出る。―やっぱり今日も憂鬱』(柳澤はるか訳、方丈社、2017年)

『マッティ、旅に出る。』を見て、うらやましいなと感じたのは、フィンランドは夏をすごすコッティジを持っていて、そこで(日本人から見れば)長い休暇をすごすという部分だった。(同じことをトルコの人たちの生活を描くマンガを読んだときも感じだ。多くのイスタンブル在住の人たちは、夏は別荘に出かけると知ったからだ。)「フィンランド人は日本人とそっくり」と言っても、日本で別荘を持って長い休暇を楽しむ人たちは多くないのではないか……。

「サマーコテージのご近所さんが、うるさい。」『マッティ、旅に出る。やっぱり今日も憂鬱』より

「フィンランドに行ったら、気候もよくて、みな森にキノコ狩りに行くの。そのキノコがまたおいしいのよ」。

と、すっかりフィンランドのとりこになってしまい、この北欧の国に通いつめているというマンガ研究家の女性を、私は知っている。彼女は『マッティ』の訳者とは別に、独自にフィンランドのマンガを研究しているのだという。それは、とてもすてきなことに違いない。

3.フィンランドのもうひとつの影

しかし私は、マンガ研究家だが、映画評論家でもあるので、映画を通じてその国の状況について学ぶことも多い。

実は、昨年10月の第30回東京国際映画祭で、一本のフィンランド映画が上映され、印象に残っていた。『ペット安楽死請負人』(2017)というテーム・ニッキ監督によるこの映画は、自動車修理などをしている男が、実は秘かに飼い主が不要になったペットの犬やネコの処分を請けおっている―という内容。タイトルを知って、「こわいのでその映画は見なかったわ」という映画評論家の女性がいたが、映画のなかで動物たちがひどい目にあう描写は、まったくない。

彼が処分を引きうける犬などは、病気や怪我をして助からない状態のものに限られ、その死体を、ていねいに石灰でおおって森のどこかに埋める。そうした場面でも、主人公の上半身のしぐさを見せるだけで、地面は映さない。

「この映画で、動物が虐待されたことはないよ。私自身もネコを三匹飼っていて、動物は好きなのさ」と、主演俳優のマッティ・オンニスマ氏は、映画上映後の関係者のあいさつのときに語った。彼はフィンランドで有名な俳優だが、「いつも傍役を演じ、主演するのはこれが初めてで、とても嬉しかったが、緊張したよ」と語る。

彼に主演させたテーム・ニッキ監督は、「私は1970年代のチャールズ・ブロンスン主演のアメリカのハードボイルド映画が好きで、この映画も一種のハードボイルド映画のつもりなんだ。表面はもの静かだが、内に激しいものを秘めていて、その怒りが最後に爆発する。そんな彼をマッティ・オンニスマに実はぴったりじゃないかと、秘かに思っていたんだよ」。

この映画には、主人公と親しくなる動物病院の看護士との野外のセックス(女は「私の首を締めて」と言い、男が彼女の首を締めながら行為を終える。女はぐったりするが、終って目をあけて「とても良かった」と言う)もある。また、あたかもネオ・ナチのようなフィンランド陸軍あがりの若者たちが、偏見に満ちた暴力行為を示す場面もある。

もちろん、ペット処理業など、どこからこんな架空の仕事を思いついたのか、監督に聞く機会があればよかったと思う。

いろいろと、フィンランドの現実〈少なくとも、ある種の現実〉が、この映画に反映しているのかも―と、いまでも気になっている。

マンガの『マッティ』も、フィンランドの日常生活に根ざした一種のここちよいファンタジーではあろうが、それとは別の方向のファンタジーを、この映画は描いてみせたのであろう。ファンタジーにより、人は育つ。

「話したがっている同僚に忙しいフリをしてしまう。」『マッティは今日も憂鬱―フィンランド人の不思議』より

思えば、私がフィンランドという国を意識したのは、私が高校生のころの1950年代、都立新宿高校の体操の先生が、ヘルシンキのオリンピックの日本の体操チームのひとりに選ばれ、跳馬の演技などで団体で銀メダルを獲ったときである。高校の朝の朝礼のとき、その私よりも小柄だが筋骨たくましいその先生は、自分のメダルを壇上で見せ、ごく控え目なあいさつをしたのだった。私が、オリンピックもフィンランドも、とてもとても遠い世界のはなしだと思っていた頃のはなしである。

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About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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