自伝的コミックスのパイオニア―ジャスティン・グリーン『ビンキー・ブラウン、聖処女マリアに会う』

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ジャスティン・グリーンの『ビンキー・ブラウン、聖処女マリアに会う』(Binky Brown Meets the Holy Virgin Mary)、以下『ビンキー・ブラウン』)という作品を初めて知ったのは、たしかアート・スピーゲルマンのインタビューだった。その後も、アメリカのコミックス研究家や批評家たちの間でしばしば言及されるようになり、近年においてますます高く(再)評価されるようになってきた。そうした『ビンキー・ブラウン』に対するコメントは、「自伝的コミックスの元祖」、「アンダーグラウンド・コミックスの名作」、「ロバート・クラム、アライン・コミンスキー=クラム、アート・スピーゲルマン、その他の多くのコミックス・アーティストたちに多大なる影響を与えた作品」といったもの。なかでもスピーゲルマンは「『ビンキー・ブラウン』がなかったら、『マウス』もなかっただろう」(デラックス版「序文」)というほど高く評価している。

『ビンキー・ブラウン』の表紙絵(Justin Green, Binky Brown Meets the Holy Virgin Mary, Last Gasp, 1972)

『ビンキー・ブラウン』は、1972年にサンフランシスコのラスト・ギャスプ(Last Gasp)――『はだしのゲン』英語版の普及に一役買った出版社――から「ニューズプリント・コミック」(新聞紙サイズのコミックス)として出版されたアンダーグラウンド・コミックス作品だ。出版時には、アンダーグラウンド・コミックスとしては異例の40,000部(一部、50,000部とも言われている)を売り上げたが、その後しばらく忘却の憂き目に遭っていた(もちろん、知っている人は知っていたが)。しかし、近年、オルタナティブ・コミックスやグラフィック・ノベルの評価が進む中で、再び注目を浴びるようになり、文芸書を出版しているマクスイーニー社(McSweeney’s)が2009年にハードカバーの「デラックス版」を出版したことで広く認識されるようになった。今回取り上げる「デラックス版」は、10×14インチのオリジナル・サイズで、原画が複製されており、ところどころ修正した部分も見て取れる。

『ビンキー・ブラウン』のデラックス版(Justin Green, Binky Brown Meets the Holy Virgin Mary, McSweeney’s, 2009)

アンダーグラウンド・コミックスについて簡単におさらいをしておこう。1950年代半ばに起きたコミックス(コミック・ブックス)に対する「モラル・パニック」(ある特定の人々や集団を主流社会が「社会秩序を乱す」として社会的抑圧を与える集団的で感情的な反応)は、コミックス出版社の自主規制(自己検閲)であるコミックス倫理規定(コミックス・コード)の採用につながり、当時のコミックス産業に大打撃を与えた。その様子はデヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅!―アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世、中山ゆかり訳、岩波書店)で詳しく書かれているが、コミックス・コードという業界の社会的なプレッシャーに対する「妥協」がもたらした結末のひとつは、コミックスを「安全」で「イノセント」な、(大人が考える)「子供のモノ」という領域に囲い込もうとすることだった。こうしたアメリカの東海岸を中心とする主流コミックス産業の規制とは離れ、1960年代に西海岸(特にサンフランシスコ)や地方の大学新聞で、カウンター・カルチャーの息吹を吸い込んだコミックスが作り出された。それらは当初、若者向けに作られ、性的表現も大胆で、世間が目を背けたくなるようなトピック(規範的でない性的傾向やフェティシズム)やドラッグ、(メインストリーム・コミックスが描けない)暴力の他、時には政治的な話題も盛り込み、主流社会の欺瞞やタテマエに対しても懐疑的で、主流社会の期待や要求から意識的に「ドロップ・アウト」することで、別の形の表現や作品を生み出そうとする運動でもあった。

デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅!―アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世、中山ゆかり訳、岩波書店、2012年)

コミック史においては、ロバート・クラムが『ZAP Comix』を発売した1968年が、アンダーグラウンド・コミックスが「運動(ムーブメント)」として勢いを得た年とされている。当初、アンダーグランド・コミックスの多くは、自費出版で、既存の流通経路に乗らず、ヘッド・ショップ(マリファナやタバコの喫煙具や巻紙などを売っている店)などで売られていた。クラムがサンフランシスコのヘイト・アシュベリーで妻ダナ(当時)が押すベビー・カーに入れた『ZAP』コミックスを手売りしていた話は、アンダーグラウンド・コミックスの文化的神話として語り継がれている。現在から振り返ってみると、後のフェミニスト・コミックスやゲイ・コミックス、そしてスピーゲルマンの自伝的作品やオルタナティブ・コミックスも、この「青年向け」または「大人向け」のアンダーグラウンド・コミックスのコミックス文化の流れをくんでいる。『ビンキー・ブラウン』の作者グリーンも1968年にサンフランシスコに引っ越し、クラムらアンダーグラウンド・コミック運動に参加した人物だ。

ロバート・クラム『ZAP COMICS 1』の表紙

作者のジャスティン・グリーンは1945年にイリノイ州のウィネトカという町で、カソリックの母とユダヤ系の父との間に生まれた。幼い頃はカソリックの学校で教育を受け、後にユダヤ系の学校で学んだという。その様子は『ビンキー・ブラウン』の中で、主人公ビンキーの経験として(戯画化され)反映されている。高校の時にシカゴ美術館の週末のアート・クラスを受講、その後、画家を目指してロードアイランド・スクール・オブ・デザインに進学し、続いてシラキュース大学の大学院にも進んだ。だが、ヨーロッパ留学中にロバート・クラムのアンダーグラウンド・コミックス作品(クラムの許可なく流通されていた)に出会い、1968年に大学院をドロップ・アウトして、サンフランシスコのアンダーグラウンド・ムーブメントに参加するようになった。

作品『ビンキー・ブラウン』では、作者の分身である主人公のビンキー・ブラウンという少年が、自らの性的欲望や執着(オブセッション)と宗教的な戒律との間で苦悩する様子が描かれている。カソリシズムの禁欲的で厳格なしきたりの中で育ったビンキーは、モノやイメージ、身体の一部、性器に対して妄想的な執着を持っているが、同時に宗教的な戒律から、そうした自分に「罪の意識」も感じている。思春期の「性的な目覚め」を経験したビンキーは、聖マリアに対しても性的な欲望や妄想を抱くようになるが、性的欲望に対する自己の抑圧も激しさを増し、ついには自らの指や足がペニスのような形になったり、股間からも「光線」がでているような妄想にかられたりするのだった……。

『ビンキー・ブラウン』の全体は、フロイト流に言えば、主人公の「イド」の性的欲望とそれを認識し、制御しようとする「エゴ」、そしてそれができないことを罰しようとする「スーパー・エゴ」の間の軋轢が延々と描かれていると言える。その様子は、今で言うところの「強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder, OCD)」という「精神的障害」で、「同じ行為や思考を意味もなく繰り返してしまう行為」を指す。例えば、作品中でビンキーは、ベッドのヘッドボードに頭を何度も繰り返し打ちつけたり、階段を降りる時には、決まった通りに降りないと、まるで階段自体がビンキーを捕まえようと追いかけてくる様子を思い浮かべたりしてしまう。これらは、おそらくグリーン自身の「強迫性障害」の経験が投影されているのだろう。

ビンキー・ブラウンが繰り返す「強迫性障害(OCD)」の様子

ジャスティン・グリーンが「自伝的コミックスの父」と呼ばれている理由のひとつは、『ビンキー・ブラウン』の冒頭で、作者自身が登場し、「読者への告白」として「今から読者に届ける物語は単なるエンターテイメントとしてではなく、自らの強迫的な神経症を解き放つためでもある」と宣言するからだ。ただし、そのページに「描かれた作者」自身は、拷問用のフックから逆さに吊るされ、後手に縛られ、片目を布で覆われており、口にくわえたペンでコミックスを制作している。このようにして「告白調」でありながらも語りに複数の次元を与え、厚みを持たせることに成功している。

そして、この「描かれた作者」は読者に向けて次のように述べる。「ある一人の神経症患者のジレンマを、コミック・ブックというわかりやすい形式で読めば、苦しんでいるのは自分だけでないと気づくだろう」し、「私たち神経症患者が一緒になれば、この『共通の苦しみ』という巨大な鎖で世界を幾重にも覆うことができるだろう」。ジャスティン・グリーン自身はインタビューで、「(1950年代)当時は、OCDと言った病理学的な言葉さえ存在しなかった」と語っている。そうならば、グリーンが経験していたのは、自らの精神的な苦悩を(完全には)言語化できず、そのため他者にもそれを(完全には)伝えることができないという孤独であろう。こうした絶望が他者とのコミュニケーションを求めるひとつの手段としてコミックスという形をとったとも言えるかもしれない。

『ビンキー・ブラウン』の冒頭に登場する「描かれた」作者

実際に、目に見えない人の内面的世界や苦悩、そして精神的な障害を描くときこそ、手描きによるコミックス形式の本領が発揮されるのではないだろうか。他者の内面の苦悩はカメラには映らないし、外見を見てもわからない。笑顔の裏で、人には言えない「心の闇」を宿しているかもしれないのだ。『ビンキー・ブラウン』のページに描かれているのは、シンボリックで、シュールでグロテクスなイメージ群であるが、それらは主人公ビンキーの内面世界の投影であろう。ただし、読者にとっては隠喩的な表現だとしても、ビンキーにとってはすべて「リアル」に感じられるものなのだ。一見、荒削りで神経症的にみえるグリーンの描線は、ビンキーの内面世界を描くのに最適であると思われる。

『ビンキー・ブラウン』は、まだ世界的にそれほど認知されているとは言えないが、ポルトガルでは、作者のジャスティン・グリーンをゲストに迎えたオリジナル・アート展が開催されたようだ。

この作品が日本の読者に届く日は来るのだろうか。「日本には豊かなマンガ文化ある」という言説が無批判に流通している中、果たして「真に豊かなマンガ文化」とは何かを考えさせられる作品だ。

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Binky Brown Meets the Holy Virgin Mary (英語)

About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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