妖怪たちの凱旋―アトリエ・セントー『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』

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昨2017年9月、アトリエ・セントー『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』(駒形千夏訳、祥伝社)というバンド・デシネ(以下、BD)が邦訳出版された。原書のOnibi – Carnets du Japon invisibleがフランスで出版されたのは2016年10月。筆者はこの原書のことをまったく知らず、2017年になってからさるツイートを通じて知ったのだが、そうこうするうちに日本語版発売がアナウンスされ、えっ、もう!?と驚いた記憶がある。日本語版の版元が、これまでバンド・デシネの翻訳をたくさんしている出版社ではなく、祥伝社というのも新鮮な驚きだった。

アトリエ・セントー『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』(駒形千夏訳、祥伝社、2017年)

その後、本書『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』は、第11回日本国際漫画賞(2017年12月発表)で優秀賞を受賞した。授賞式が2018年2月に行われ、ふたり組の作者アトリエ・セントーのひとり、セシル・ブランさんの来日が実現。トークショーも行われた。Comic Streetでも、せっかくの機会ということで、アトリエ・セントーのふたりにインタビューを敢行し、既に公開している。

さて、副題にある通り、本書はフランス人ふたり組アトリエ・セントーによる「妖怪」をめぐる「紀行」BDである。妖怪BDとは面妖な…と思われるかもしれない。何しろBDはまず第一にフランス語圏の読者向けの商品なのだ。ところが、水木しげるの『のんのんばあとオレ』フランス語版が、2007年、第34回アングレーム国際漫画フェスティバルで最優秀作品賞を受賞して以来、妖怪はフランスにも居場所を見つけることに成功したと思しい。手塚治虫の『どろろ』とか、冨樫義博の『幽☆遊☆白書』とか、それより前に仏訳されていたものはあったが、「妖怪」のフランスにおける定着に大きく貢献したのは、やっぱり水木作品だろう。もちろん『ゲゲゲの鬼太郎』も『河童の三平』も仏訳されている。そうした状況を受けて、妖怪を描くフランス人作家たちが現れ始めた。日本でも『おだいじに』(講談社、全2巻、1993~94)や『冒険野郎伝説 アヴァンチュリエ』(エンターブレイン、2008年)で知られるクリストフ・クリタが、『エンサイクロペディア・ディアボリカ』(Encyclopedia Diabolica, Ankama, 2 tomes, 2010-11)を、セルジオ・A・シエラとアレックス・シエラのスペイン人作家コンビがその名も『妖怪』(Sergio A. Sierra, Alex Sierra, Yôkai, Glénat, 2013)という作品を発表しているし(どちらも筆者は未読)、ニコラ・ド・クレシーも『プロレス狂想曲』(拙訳、集英社、2015年)で洋風妖怪を登場させ、さらに『浮世―妖怪と俳句』(Un monde flottant – Yokai et Haikus, Soleil, 2016)では、より日本的な妖怪も描いている。アトリエ・セントーの『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』も、これらの作品群のひとつに位置づけていいだろう。

また、フランスでは、1990年代以降、自伝的BDが定着している。邦訳されているものでいえば、マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』(全2巻、園田恵子訳、バジリコ、2005年)、ギィ・ドゥリール『マンガ 平壌』(桧垣嗣子訳、明石書店、2006年)、ダビッド・ベー『大発作』(フレデリック・ボワレ監修、関澄かおる訳、明石書店、2007年)、フレデリック・ペータース『青い薬』(拙訳、青土社、2013年)、エマニュエル・ルパージュ『チェルノブイリの春』(大西愛子訳、明石書店、2014年)、ユング『はちみつ色のユン』(鵜野孝紀訳、DU BOOKS、2015年)などがあげられる。自伝とは言っても、今やその裾野は広く、波乱万丈の半生を語るものばかりではなく、身の回りの出来事や紀行なんかも含まれる。『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』ももちろん自伝的BDと考えていいだろう。しかも、妖怪×紀行というユニークな自伝である。そもそも水木しげるの『のんのんばあとオレ』が、フランスでは自伝的BDの文脈で紹介され、だからこそ成功を博したということらしい。

このようにユニークな自伝的BD『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』が読まれていないとしたらもったいなすぎる。ということで、この機会に改めて紹介しておこう。

セシルとオリヴィエのふたりは、喫茶店兼レストラン兼床屋兼アートギャラリー“マルグッタ51”のオーナー馬場夫妻のおせっかいで、フランスから遠路はるばる日本を訪れ、かつてしばらく暮らした新潟に短期滞在することになった。お祭りが行われるという情報を得て、ふたりは雨の中、猿和田という地域を訪れるが、お祭りが行われる気配はない。しばらくして雨があがると、神輿をかつぐ人々の行列が現れる。ホッとして彼らについていくふたり。なぜか大人にかつがれた少年にジッとにらまれるオリヴィエ。

やっと現れた神輿行列についていくふたり。
なぜか少年がオリヴィエをにらむ

セシルはオリヴィエそっちのけで、骨董屋らしきお店に夢中である。行列を見失うことを心配するオリヴィエをよそに、セシルはズンズンお店の中に入っていく。彼女はそこで、店主がすすめるおもちゃのようなカメラに首ったけになってしまう。その名も「妖怪カメラ」。警戒されることなく、妖怪を写真に収めることができるという優れもの。8枚撮りの専用フィルムがついて、お値段たったの1万円! オリヴィエが止めるのも聞かずに、セシルはカメラを購入してしまう。かくして、観光旅行ともつかない、ふたりの妖怪狩りが始まる……。

骨董屋でおもちゃのカメラを購入するセシル

それは妖怪カメラだった

ここまでがプロローグで、それからふたりは、新潟を中心に7つの場所を訪れ、最後にエピローグが置かれるという構成である。7つの場所で展開される物語は、長短さまざまだが、どの物語においても、ふたりはちょっと不思議な体験をする。各エピソードの終わりには、彼らが撮った写真が掲載されていて、そこには妖怪らしきものが写り込んでいる。

おわかりいただけただろうか? 画面の中央に白い狐のようなものが写り込んでいるというのだが…

フィルムの数は全部で8枚。ところが、用意されている物語は、全部で7つ。残された1枚はどうなるのか? ひょっとして百物語のように、妖怪カメラとは、最後の1枚を撮ることで、取り返しのつかないことが起きてしまう代物なのか? そもそも、ふたりを妖怪カメラに導いたようにも見える少年とは何者なのか……? 狩りは狩りでも、紅葉狩り的な「狩り」として始まったふたりの妖怪狩りは、やがてタイトルにもなっている「鬼火」を見てからというもの、恐山へと至る地獄めぐりの様相を呈していくことになる。はたしてふたりは無事に日常へと戻ることができるのだろうか……?

なーんて、それこそ怪談のような期待を持ってこの作品を読み進めていくと、ちょっと肩透かしをくらうかもしれない。何しろ、妖怪BDと言ったにもかかわらず、この作品のBDの部分では、なかなか妖怪が現れないのである。妖怪の姿を描かずに、怪異な現象を通じて、妖怪を感じさせるというやり方もあるだろうが、その点においても、本書は実に控えめな演出を選択している。決して派手なことは起きないのだが、その代わり、彼らが描くある種の場所は、いわくありげで、実に魅力的である。影を宿した本殿の内側、鳥居参道が作る暗がり、開墾され田んぼになってしまった今はなき森、小さな石像が置かれた池の静寂、鬱蒼とした山林から聞こえてくるさまざまな音……。それらは、時にさまざまな感覚を呼び起こす場所であり、だからこそ、人を魅了すると同時に不安にもするのかもしれない。おそらく私たちの先祖も、そんなふうにして、さまざまな妖怪を想像していったのだろう。作者たちは、そのみずみずしい絵で、そうした感覚を私たちに追体験させてくれる。ある意味これは、妖怪を描くまっとうなやり方なのかもしれない。

稲荷神社の本殿

良寛の草庵の池を領する静寂

邦訳されることで、本書『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』は、日本の妖怪マンガと肩を並べることになった。とはいえ、安易に妖怪を描かない自伝的節度が、この作品を妖怪マンガの中でもユニークな存在にしている。妖怪カメラで撮った写真といえど、カフェノール(炭酸ナトリウム洗剤とインスタントコーヒーとビタミンCの化合物)で現像することがなければ、妖怪の姿を定着することはできない。現実の世界において、妖怪は、そう簡単にお目にかかれる存在ではないのだ。万が一あなたが妖怪カメラと専用フィルムを手に入れることができたなら、これはという場所に狙いを定め、シャッターを押し、本書巻末のマニュアルにのっとって、自家製カフェノールで写真を現像してみてはいかがだろう? そのときこそ本当に妖怪が映っているにちがいない。日本で生まれた妖怪は、マンガを介してBDの中に忍び込み、本書『鬼火 フランス人ふたり組の日本妖怪紀行』で、フランス的センスをまといつつ、日本に凱旋したのだ。

About Author

原 正人

1974年静岡県生まれ。フランスのマンガ“バンド・デシネ”の翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。「世界のマンガについてゆるーく考える会」主宰。もちろん日本のマンガも大好き。

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