越境と移民への誘い―ショーン・タン『アライバル』

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鳥の形の折り紙、置き時計、帽子とスカーフ、鍋とスプーン、子供が描いた家族の絵、ヒビの入ったティーポット、コーヒーと書類、開いたスーツケース、そして家族三人の姿・・・・。ショーン・タンのコミック作品『アライバル』を開くと、まず読者の目に入ってくるのは、ひとつひとつのコマ(のように区切られた3×3の枠の中)に描かれているこれらの「モノ」たちだ。この時点では、これらが何なのか、物語の中でどれほど重要なのか判断できない。しかし、『アライバル』のページをめくっていくと、それぞれのモノが物語を語り出し、登場人物たちとの関係や彼らの生活の様子、さらには内面までもが浮かび上がってくる

ショーン・タン『アライバル』(岸本佐知子訳、河出書房新社、2011年)

今回、紹介するのはオーストラリアのイラストレーター、絵本作家、コミック・アーティストであるショーン・タンの名作『アライバル』だ。2011年に『ロスト・シング』(The Lost Thing, 2010)というタンの絵本をアニメーション化した同名の作品が、アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞している。絵本作家として知られていたタンの名前をコミックス界で耳にするようになったのは、2008年にフランスのアングレーム国際マンガフェスティバルで最優秀作品賞を受賞した時からである。日本では河出書房新社から2011年にその「翻訳」版が発売されている。

ショーン・タン『ロスト・シング』(岸本佐知子訳、河出書房新社、2012年)

「翻訳」と書いたが、この作品はいわゆる英語から日本語への翻訳といった意味ではない。というのも、この作品は全編にわたって、文字を使わず、絵の連続とコマ(のような空白)だけで構成されている作品だからだ。文字を排したマンガ作品は、しばしば「サイレント・マンガ」や「ワードレス・コミックス」(Wordless Comics)と呼ばれているが、この作品の優れた点は、単にそうしたメディア形式の持つ可能性(とその限界)を実験的に試しているというよりも、積極的に利用することで、ひとつの豊かな物語を完成させていることにある。

『アライバル』が紡ぐ世界は、ある男とその家族が新しい生活の場を求めて、別の国に移住・移民する話である。名もなき主人公の男が、慣れ親しんだ土地を離れる理由ははっきりと分からない。だが、どうやら彼の住む国は彼と家族にとって住みにくい土地であり、そこから抜け出す必要があるようだ。主人公の男は、よりよい生活を求めて、まずは家族をおいてひとりで見知らぬ土地に向かう。その男の移住・移民の経験を追う物語だ。「絵」だけで語られるこの物語が描き出すのは、言葉も慣習もわからぬ異国で、男が戸惑い、困惑し、誤解し、不安に囲まれながらも希望を持って生活の場を築いていく姿だ。彼が移住/移民する国は、我々の知っている国と似通っているところもあるが――たとえば、19世紀後半から20世紀前半のニューヨークのマンハッタンを思わせる(ある部分では、移民たちが通過した「エリス島」にあった移民局イメージが使われている)――奇妙な建物や巨大な銅像があったり、異なる風習を持つ人々や、見知らぬ生き物にであったりする不思議でファンタスティックな国でもある。

多くのヨーロッパ移民が入国したエリス島の移民局の様子(1910年頃)

先に「文字を排したマンガ作品」と前述したが、これは必ずしも正確な表現ではない。主人公は移住先の国で、文字(らしきもの)に遭遇する。それは主人公にとって理解を拒む文字体系であるだけでなく、読者にとっても理解しがたいものであり、まさに「見知らぬ外国語の文字」としてうつる。このようにして、この作品は、慣れ親しんだ土地や文化を離れ、異なる言語や文化、国に身を置く主人公の体験を、読者にも体験させる。主人公が移住先で、手さぐりで状況を把握していかなければならないように、読者はタンの描く絵だけで表現された世界を「読解」していくことを求められるのだ。

こうして読者は主人公とともに不思議で奇妙な世界に迷いこんでいくことになるのだが、そうした感覚を作り上げているのが、タンの幻想的でシュールレアリスティックな絵である。タンの絵は、おそらくルネ・マグリットやマックス・エルンスト、ジョルジョ・デ・キリコといったシュールレアリスムの作家たちからインスピレーションを受けており、まるで夢の世界を提示しているようだ。また、タンはモーリス・センダック(『かいじゅうたちのいるところ』)、エドワード・ゴーリー(『うろんな客』)、レイモンド・ブリッグス(『風が吹くとき』)といった世界に知られている絵本作家たちのように、メランコリックだがどこか温かみのある絵を描く作家である。タンのカラフルな他の作品と比べると、『アライバル』は、白黒の濃淡とセピア色を利用してノスタルジックな印象を与え、その繊細な筆使いは、ペンを持つタンの腕の動きまで想像できそうなほどである。「写真」や「映画」といった機械的な再生産とは異なり、タンの筆の運びは、雲の変化や季節の移り変わり、そしてなにより描かれる「モノ」そのものに備わる物語や登場人物たちの記憶を描き出す。この記憶や内的世界を描きだす筆致にこそ、タンの本領が最も発揮されているといえるだろう。

マックス・エルンスト「セレベスの象」(1921年)

冒頭に登場する家族三人の姿は、ページをめくっていくと、物語の一部である「枠に入った写真」であることがわかる。そして、丁寧にその写真を梱包し、スーツケースに入れる主人公の姿に、彼の家族に対する思いと家族を残していく不安が見て取れる。また、主人公の男が海をわたるシーンでは、こまかく区切られたコマ(のようなもの)の内部にひたすら変化しつづける雲の一部だけが執拗に描かれている。こうした連続は、船上で行き場のないまま海を航海しつづける気の遠くなるような時間の長さと、移民先への不安と期待を投影したものかもしれない。言い換えるならば、タンの絵は、単に外部の描写ではなく、移民をする者たちの「感情の風景」を描いているとも言えるだろう。

国境や言語文化を越える「移民の物語」は、マルジャン・サトラピ『ペルセポリス』、GB・トラン『ベトナメリカ―ある家族の旅』(GB Tran, Vietnamerica: A Family Journey, 2011)などのコミック作品のように、しばしば個人的なものと歴史的なもの(歴史的な暴力)が結びついた記憶とメモワールの形をとるが、この作品が他のグラフィック・メモワールと比べても突出している部分は、移民の経験を個人や集団、そして歴史の個別性を越えて描きあげていることにある。言い換えるならば、移民の経験とは、個人的(または民族的)な経 験であり、歴史の中では限られた者たちの経験でしかなく、それを 語る者は、経験者であり、その記憶はひとつひとつ異なるものであ るが、​​『アライバル』は、個々の移民の体験を「​ファンタジー​​」​のジャンルを利用することで、個人や民族を超える形で共有される作品に仕上げている。

ショーン・タン『遠い町からきた話』(岸本佐知子訳、河出書房新社、2011年)

『ロスト・シング』や『遠い町から来た話』を知る者ならば、タンの作品には、「見知らぬもの(ストレンジャー)」や「帰属(の欠如、または喪失)」、「郊外」、そして「移住・移民」といったモティーフが繰り返し現れることに気づくだろう。それは『アライバル』も例外ではない。タンは中国系マレー人の父を持つオーストラリア人、いわゆる「ハーフ」であり、子供の時には、しばしば「低いレベルの差別(low-level discrimination)」を受けたと言う。こうした作家が描きあげる作品は、世界の境界(ボーダー)——国境や言語、文化、ジェンダー、その他の社会的な境界——を問いただしつつ、それらを越えてアピールする力があり、『アライバル』はそれを絵による物語で成し遂げている。

ショーン・タン『アライバル』(英語版オリジナル、2008年)

『アライバル』の表紙はまるで時を経て風化した、しかし大事に保存されてきた家族の古いフォト・アルバムのような装丁になっている。ここにもタンの「モノ」に対する思いが反映されているのかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、これはかならずしも「写真」ではなく、アーティストの目と手によって描かれたコミックスである、ということだ。

ショーン・タンの傑作『アライバル』が告げるひとつの真実は、コ ミックスを読む行為自体が、別の世界への「移民/移住」の経験で あるということ。ぜひ、この本を手にとり、そうした「移住/移民」の体験をしてほしい。

About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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