東洋のハイブリッドな文化遺産を継ぐコミックス―ジーン・ルエン・ヤン『アメリカ生まれの中国人』

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アメリカに「ジーニアス・グラント(天才賞)」と呼ばれている助成金制度がある。正しくはマッカーサー・フェローシップという名称で、「芸術的、知的、専門的な領域」で「並外れた独創力」と「革新的なアイデア」を発揮し、同時にそれらを「実現できる能力」のある人物に贈られる賞である(注1)。人文科学系を問わず幅広い分野で活躍する人物に与えられ、5年間で60万ドル(7000万円)ほどを自由に使ってよいとされている。かつては既存の学問分野や文化領域で活躍する個人に与えられていたが、2000年以降は、コミックス・アーティストにもこの「天才賞」が与えられるようになってきた。コミックスが社会的・文化的に価値のあるものとして(再)認識されるようになった事例のひとつと言えよう。過去に受賞した3人のコミックス・アーティストは、『ジュリアス・クニップル、街を行く』で知られているベン・カッチャー(2000年受賞)、『ファン・ホーム:ある家族の悲喜劇』で有名なアリソン・ベクダル(2014年受賞)、そして今回のレビューで取り上げる作品の著者であるジーン・ルエン・ヤン(2016年受賞)だ。
(注1)The MacArthur Foundation website: https://www.macfound.org/

ジーン・ルエン・ヤン『アメリカ生まれの中国人(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)』(Gene Luen Yang, American Born Chinese, First Second Books, 2006)

ジーン・ヤンは『アメリカ生まれの中国人(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)』(2006年)でコミックスの世界で知られるようになった。この作品はいわゆる「グラフィック・ノベル」という比較的長編のコミックス作品で、ハードカバーで背表紙がついた単行本で発売されている。「グラフィック・ノベル」という名称(またはラベル)は、つねに議論を呼び寄せるが――例えば、商業的なラベルにすぎないとか、「ノベル」という文学ジャンルに対する従属的態度だとか、フィクションに対する用語として通常は「ノベル」を使っているが、ノンフィクションのコミックスはどうするのだとか、結局のところ「コミックス」と違いはあるのか、など――先に言及したコミックス・アーティストはすべて「グラフィック・ノベル」という本の形式でコミックス作品を出している(注2)
(注2)「グラフィック・ノベル」をどう捉えるかについての議論は、Jan Baetens and Hugo Frey, The Graphic Novel: An Introduction, New York: Cambridge University Press, 2015を参照。

ジーン・ヤンはこの作品を発表する前にもいくつか作品を描いているが、『アメリカ生まれの中国人(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)』が全米図書賞の最終候補作に選ばれたことで広く認知されることとなった。また、コミックス作品が「全米図書賞」にノミネートされたのは、これが初めてだった。全米「図書」賞とあるように「グラフィック・ノベル」が「本」として出版されてきたことに意味があると言えよう。この作品は、ヤングアダルト向けにもかかわらず、個人や集団の「生きられた経験」と歴史的な伝説や虚構を巧みにつなぎあわせる構造がすぐれており、それによって作品に対する複層的な読みを可能にしている。物語のおもしろさとともに、社会的・歴史的な批評性をも生み出していており、現在では、大学などの高等教育機関などでも課題図書のひとつとして採用されるようになっている。

日本でもよく知られた『西遊記』を
基にした物語のページ

『アメリカ生まれの中国人』は三つの異なる物語で構成されている。一つ目は、16世紀に書かれた中国の書物『西遊記』から取られた「猿の王の物語」。日本でもよく知られた『西遊記』を基に(アレンジ)したこの物語は、猿の王(孫悟空)が神々たちの宴(うたげ)の席に参加しようとした際、靴を履いていない「猿である」という理由だけで参加を断られる。その反動から、自らが(猿ではなく)「大聖人」であることを力と修練した技で他の神々に認めさせようとする話。二つ目は移民の二世としてアメリカに暮らす中国系アメリカ人の小学生「ジン・ワンの物語」。両親の都合でサンフランシスコのチャイナタウンから白人が大多数を占める郊外の町に引っ越して来たジン・ワンが経験する疎外や差別、そして恋の物語。三つ目は金髪の白人高校生「ダニーの物語」。ダニーは高校で出会った白人女性メラニーを気に入っている。しかし、毎年、いとこの中国人「チンキー」がやってきて、彼のロマンスや高校生活を破壊してしまう話。三つの異なる物語が断片的に進みつつも、最後にはひとつの物語に収斂していく。こうした物語構成は、このコミックスの読了後に、異なる物語を同じ枠組みやモティーフで読み返すことを促す装置となっている。再読することで読者が気づくのは、『アメリカ生まれの中国人』が濃密なインターテクスト(作品の先行作品群に対する言及や含意のある関係性)と三つの物語をつなぎ合わせる予兆的な物語要素やイメージ群にあふれており、慎重に組み上げられていることに気づくだろう。

タイトルに使われている「アメリカ生まれの中国人(American Born Chinese)」は、厳密に言えば「政治的に正しい」名称ではない。より「中立」と考えられている既存の言葉としては「中国系アメリカ人(Chinese American)」が存在する。しかし、この用語は中華系移民の二世(時に三世)について使用されることがあり、英語でABC(American Born Chinese)と略して使われることもある。これが侮蔑的な意味を含むかどうかは使用者の意図と文脈によって議論が分かれるところであるが、すでに公的に流通している上記表現とは異なり、国家的所属(「アメリカ」)よりもエスニシティ(「チャイニーズ」)を前景化する用語でもある。そうした用語をタイトルにしたこの作品は、現在のアメリカに存在する人種(差別)意識、エスニシティ、アイデンティティ、国家、帰属意識といった問題系に踏み入るコミックス作品であることを示している。

サンフランシスコから白人ばかりの街に引っ越してきた「ジン・ワン」の物語

特に「ジン・ワンの物語」では、人種差別の問いがモティーフのひとつだが、この問いを「コミックス」形式で以って行うことには重要な意味がある。なぜなら、ある人種のステレオタイピングとコミックスは歴史的に非常に深い関係があるからだ。ここでその歴史をすべて振り返るつもりはないが、ひとつだけ述べるならば、一コマの風刺漫画(または政治風刺漫画)は、戯画化とカリカチュアをそのジャンル的な特徴としており、人種差別的な表象を繰り返してきたメディアである。例えば、『アメリカ生まれの中国人』の中でダニーが通う高校は「オリファント高校」という名がつけられているが、これは現代の風刺漫画家パット・オリファント(Pat Oliphant)への明白な言及である。オリファントの風刺画は高く評価されている一方で、しばしば彼の作品内における人種の表象が物議を醸して来た。「白人高校生ダニーの物語」で登場するいとこの中国人「チンキー」は、19世紀から現在まで歴史的に生み出されてきた中国人/中国系の人々に対する極端に戯画化された(そして差別的な)姿の再演出である。

中国系の人々に対するネガティブな
ステレオタイプを集約させたような
「チンキー」

コミックス・クリエイターであるウィル・アイズナーは「ステレオタイプはコミックス・メディアに備わる現実であり、それは多くのコミックスにとって避けることのできないコミュニケーションツールであり、必要悪でもある」(注3)と述べている。日本でも手塚治虫のマンガに登場する黒人の人種表象が問題視され議論を呼んだことがあったが、コミックスの主題的・中心的なメッセージとは無関係に、直裁的な視覚的なコミュニケーションを習慣的に利用するコミックスのコミュニケーション方法は、それ自身が生み出された社会のヘゲモニックなイデオロギーを反復してしまう危険性があるのだ。では、『アメリカ生まれの中国人』はどのような物語的・コミックス的な戦略を持って歴史的に作り上げられたイメージの力に抵抗するのだろうか(注4)
(注3)Will Eisner, Graphic Storytelling and Visual Narrative, New York: W. W. Norton & Company, 2008.
(注4)この問いに興味のある向きは、拙論「付与された人種イメージを描き返すコミックス――ジーン・ルエン・ヤン『アメリカ生まれの中国人』について」、多民族研究学会編『エスニック研究のフロンティア』(金星堂、2014年)を参照。

その答えは、ぜひこの作品を読んで読者ひとりひとりが見つけてもらいたいが、確認しておくべきなのは、ジーン・ヤンの作品が目指すのは、人種差別を民族的なマイノリティの立場から一方的にすることでも、負の歴史を超越したりすることでもない。むしろ、このコミックスは文化的・政治的・歴史的に集積されてきた過去のネガティブな遺産を批評的に「描き返す」力を持った作品である。

ジーン・ヤンによれば『アメリカ生まれの中国人』は自主制作の数ページのコミック・ストリップ(「ミニ・コミックス」と呼ばれる)が基になっている。ニューヨークにある博物館「ミュージアム・オブ・チャイニーズ・イン・アメリカ」でその実物を見たことがあるが、オリジナルの作品はヤン自身がコミックス・ストリップを「キンコーズ」で印刷し、ホッチキスで綴じただけのものだった。それをカリフォルニアのローカルなコミックス・イベントで売ったのが始まりで、「母親の友人たちが数冊買ってくれた、と思う」と、ヤンはある講演で冗談まじりに述べていた。このように自主制作されたミニ・コミックスは、日本におけるさまざまな参加型のマンガ制作・売買イベントと同様に、既存のコミックス産業や流通とは異なる文化生産の場になっている。

ジーン・ヤン『義和団と聖人たち(Boxers and Saints)』

冒頭で言及した「天才賞」は、優れた功績を残した人だけでなく、将来の活躍が期待される人にも与えられている。ジーン・ヤンはすでに、1900年に起こった中国の清朝末期の動乱である「義和団の乱」を舞台にした『義和団と聖人たち(Boxers and Saints)』(2013)というすぐれた長編作品を生み出している。今後も目が離せない現代アメリカの重要なコミックス・アーティストのひとりであることは間違いない。

About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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