海外マンガの人々―ヴァーツラフ・シュライフさんインタビュー

Google+ Pinterest LinkedIn Tumblr +

関連記事を読む:「チェコ・コミックの100年展―100 Years of Czech Comics」訪問レポート
関連記事を読む: 「チェコ・コミックの100年展―100 Years of Czech Comics」第2期訪問レポート
関連記事を読む: 講演「チェコ・コミック通史-20世紀を生き抜いたチェコ・コミック-」レポート(1)
関連記事を読む: 講演「チェコ・コミック通史-20世紀を生き抜いたチェコ・コミック-」レポート(2)
関連記事を読む:講演「チェコ・コミックと出版、展示」レポート(1)
関連記事を読む:講演「チェコ・コミックと出版、展示」レポート(2)


海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、チェコのマンガ家、挿絵画家、映画視覚効果アドバイザーであり、西ボヘミア・ラディスラフストナー・デザイン・アート大学の講師でもあるヴァーツラフ・シュライフ(Václav Šlajch)さん。シュライフさんは2018年3月から6月にかけて武蔵野美術大学に滞在し、半年間東京で創作活動を行いました。2019年2月8日(金)から3月15日(金)にかけてチェコセンター東京で個展が開催される予定です。インタビュアーは2017年に明治大学 米沢嘉博記念図書館で行われた「~日本におけるチェコ文化年2017~チェコ・コミックの100年展」でコーディネーターを務めたジャン・ガスパール・パーレニーチェクさんです。

ヴァーツラフ・シュライフ(Václav Šlajch)さん

武蔵野美術大学に半年間短期留学されましたが、それはどのように実現したのでしょうか。

2015年に、私が教えている西ボヘミア・ラディスラフストナー・デザイン・アート大学に、武蔵野美術大学客員教授の町田久美先生が墨絵のワークショップで来校されました。私も墨に興味があったので、生徒に混じって参加したのです。その時の私の作品を見て、町田先生が絵の描き方を教えてほしいと言ってくださり、交流が始まりました。町田先生が滞在されたのは数日間だけでしたが、色々とお話をさせていただきました。町田先生から武蔵野美術大学の事を聞いて、行ってみたくなったのです。

以前から日本、日本文化には興味があったのでしょうか。

はい。以前からずっと惹かれていました。

日本のどんなところに惹かれたのですか。マンガでしょうか。大衆文化、それとも日本の伝統美術でしょうか。

子供の頃から日本の全てに惹かれていました。黒澤映画を尊敬していましたね。チェコスロヴァキアが共産主義だった時は、日本のマンガは読めませんでしたから、マンガよりも映画に夢中でした。共産党独裁政権崩壊の後、日本アニメが入手できるようになると、『鉄腕アトム』に夢中になりました。宮崎駿映画には至っては魔法をかけられたとしか言いようがありません。ちょっとした日常の形式通りの挨拶や行動の中に見る細やかな心の機微や動作の美しさ、日本芸術の想像力に深く感銘を受けました。人前ではこうあるべきというポーズを取り、決まりごとに忠実ではあるけれど、その中に何かがある。日本古来の演劇の動作にも見られますが、これは、日本人や日本文化に今でも一貫して存在しているのではないでしょうか。来日する前から、その点に感銘を受けていましたし、直接日本に行って見てみたいとも思っていました。そして、日本に来ても幻滅しませんでした! 来日するまでは、それらの印象の全てが、日本を好きなあまりに作り出した幻想ではないかと少し心配だったのです。

マンガは子供の頃に慣れ親しむことで好きになることが多いと思います。けれどシュライフさんが小さかった頃のチェコスロヴァキアは、崩壊直前とはいえ、共産党独裁政権時代でした。当時のチェコスロヴァキアではどのようなマンガが読まれたのか、日本の皆さんはご存じないかと思います。雑誌なのか、それとも海外では少なくない、きちんとした装丁の単行本なのか。シュライフさんはどのようなチェコ・コミックを読まれていたのでしょうか。

その頃は主に雑誌でした。共産党はマンガを資本主義の退廃した文化の一つだと考えていましたから、1989年(共産党独裁政権崩壊の年)まではマンガを手に入れるのは難しかった! パーレニーチェクさんも私と同じ世代だから知っていると思います。けれども、全くないわけでもない。子供向けであれば少しは刊行されていました。あの時代はマンガが読みたくて読みたくて堪らなかった! マンガがあったら、すぐに買って貰っていました。マンガは希少でしたからね。児童向け雑誌の『チティジィーステック』(「四つ葉」の意)はレジの下に隠して売られていたくらいだから。雑誌売り場の担当者に知り合いがいれば、新刊号を除けておいてもらえるんだけど。そうでもしなければ買えなかった。それから80年代の終わりには『コメタ』という雑誌が発売されました。『コメタ』の対象読者は、丁度、当時の僕くらいの子供だったから、天にも舞い上がるような気持ちでした。僕のために発売されたのかと思うくらい感激しましたね。けれど、すぐに売切れてしまう。『コメタ』の発行部数は25万部です。チェコスロヴァキアの当時の人口が1600万人弱だから、国の大きさを考えると、それは大変な量を刷っていたわけです。でも、どこに行っても売り切れ。ほとんど手に入りませんでした。何件もの本屋やキオスクを回っても、どうしても見つからないなんてこともよくありました。もちろん、『コメタ』は共産党の認証を得て発刊されているのですが、マンガ雑誌を買うという行為自体が政府の目をかいくぐって裏取引に参加しているような気分にさせるんです。冒険をしているようにドキドキしました。とにかく、『コメタ』を毎号買うなんて無理で、どっちかと言うと、ほとんど揃わない。連載マンガが全10話で完結するとして、その中の数話が読めるかどうか。話と話の間の飛んでしまっていて、その足りないエピソードを空想するのが大好きでした。

『チティジィーステック』
『コメタ』

子供の頃は一つ一つの出来事が色濃く感じられるものですが、その時期にはどのマンガ家がお好きでしたか。マンガを書き始めたのもその頃だと聞いております。どのような影響を受けられたでしょうか。チェコ・コミックでしょうか。海外のマンガからも影響を受けられましたか。

その頃はまだ海外のマンガに手が届きませんでした。1989年以降にならないと。なので必然的にほとんどチェコのマンガしか読んでいません。チェコ人として『リフレー・シーペ』(「速い矢」の意)は確実ですね。これも2冊しか持っていませんでしたが、私にとっては「聖なる本」でした。『リフレー・シーペ』の存在は私の人生の中で大きいですね。そして、やはり『チティジィーステック』。その後に『コメタ』です。

『リフレー・シーペ』

途切れ途切れに読んだ連載マンガは、チェコのマンガ家の多くが体験しているのではないでしょうか。カーヤ・サウデックもその話をしています。サウデックはアメリカン・コミックに魅了されたものの、チェコスロヴァキアではほとんど入手不可能でした。連載マンガのほとんどは一話しか読めなかったそうです。今、現在、政権が変わってから30年経ち、チェコのマンガ業界は全く違うものになっています。チェコのマンガもありますし、海外のマンガも買うことができます。それでも、この「終わりのないストーリー」感はチェコの様々なマンガに出てきます。わざと話を完結させずにカミュ的な実存主義を匂わせ、それがチェコ・コミック特有の抽象的な印象を残します。そこには、ユーモアさえも感じます。その「終わりのないストーリー」は、話の断片的要素とでも言ったら良いでしょうか。作品を構築していく中で重要なポジションを占めています。これはシュライフさんも意識的に表現していることなのでしょうか。

私が、まだ、プルゼニュで学生だった頃、学士号の卒業制作でマンガを描きました。そのマンガも完結させませんでしたね。アクションシーンの真っ最中、大爆発で恐ろしいロボットが破壊されるシーンで終わるんです。本当にそこで終わってしまう。完結なんか全然しないんです。でも、それ以上描くことも考えなかった。だから、当時、はっきりと意識していたわけではないですが、言われて見れば、その断片的要素を私も試してみていたことになります。その後も、そんなマンガを一作描きました。『コメタ』の連載マンガで一番好きだったのに『エナの秘密(Tajemství Enny)』という、ヤン・パトリク・クラースニー(Jan Patrik Krásný)の作品があるんです。いつもの通り、買えた雑誌と雑誌の間が空いているから、『エナの秘密』は何の関連もない2話分しか持っていない。全く意味を成さないストーリー。読んだ話が全体のどの辺りの話なのかも検討がつかない。話の背景が知りたくて仕方がなかったけど、『コメタ』が発売されていた時代は都合よく抜けている雑誌を入手できないし、想像するしかなかった。2009年に、トマーシュ・プロクーペックが「コメタの再来」展を開催した際、チェコのマンガ家が『コメタ』に尊敬の念を表して、何かしら制作しようという企画がありました。この時、『エナの秘密』を思い出して、初めて全話読んでみたのです。この展覧会では、わたしは、『エナの秘密』の途中に挿入すると、この連載マンガが違った意味合いを持ってくる8ページを描きました。原作の『エナの秘密』には、時を超える旅を作り出すコンピューターをリセットし直すシーンがあります。私は、このシーンの時の結び目のアイデアを更に追求して、同じ時間がいつまでも繰り返される話を考えました。こうして原作の波乱に満ちた冒険を説明しようとしたんです。今、パーレニーチェクさんに言われて気が付いたのですが、私は、少年時代の「終わりのないストーリー」の感覚を再現しようとしていたんだと思います。

過去の有名なマンガは、現代作家の作品に登場したり、パロディー作品が作られることがあります。原作者とは違うマンガ家が人気マンガの続編を描くこともあります。昨年は『リフレー・シーぺ』の永久保存版が発売されましたが、その特典企画、「リフレー・シーぺへのオマージュ」にシュライフさんも参加されました。その企画では、現代マンガ家が『リフレー・シーぺ』の登場人物を様々に表現しました。また、雑誌『Aargh!』10号の表紙も思い出します。シュライフさんは、チェコ・コミック界のクラシックでアニメ化もされた『蟻のフェルダ』を選ばれて描かれましたよね。ほとんどの場合は出版社からの依頼だと思いますが、このような企画をどう思われますか。

『リフレー・シーペ』を読んで育ちましたし、フェルダは私の幼児期の記憶の中にいつもいます。フェルダはチェコ人であれば知らない人はいない、不滅のスターです。私も本当に好きだった。その2つの企画はチェコ・コミックの歴史学者、トマーシュ・プロクーペックの発案です。雑誌『Aargh !』の編集長として、過去のチェコ・コミックと現代作品の橋渡しをしたかったと聞いています。依頼ではありましたが、非常に自由に仕事をさせていただけました。

雑誌『Aargh!』10号表紙(2010年)

『リフレー・シーぺ』の新しいエピソードや登場人物を用いた斬新な作品は、原作を十分に尊重していないと批判もされました。チェコではこのような反応が起きましたが、一方で多くの国、例えば、フランスなどの西欧諸国では、このような企画は珍しくありません。今回の『リフレー・シーぺ』の企画作品よりも更に際どい作品もあります。タンタンの本の表紙を茶化したものは数多く存在しますし、ラッキー・ルークをかなりエロチックにしたものもあります。マンガに限らず、過去の作品や人物が偉大であればあるほど、その重さを振り払うかのように大胆なパロディーが生まれることがあります。このような「オマージュ」企画は、我々の敬愛してやまない作品に忠実でなければならないのでしょうか。皮肉やブラックユーモアはどうでしょう。

こう言った「オマージュ」作品は、いつも二通りのあり方をするのでしょうね。何かに反応して創作するとき、パロディーが必ずしも必要なわけではありません。けれども、例えば皮肉であれ、何であれ、笑いを誘いたければ、その原作を良く知らなければなりません。原作を愛していなければ出来ないことです。そうしなければ、どうしても作品に嫌味が出ます。笑えるものは作れない。原作を馬鹿にしたり、からかったとしても、心からの尊敬があるからこそ出来ることだと思います。

「ブブリナの最もへんてこな夢(Bublinův nejzamotanější sen)」(『リフレー・シーペと彼らの新しく素晴らしい冒険(Rychlé šípy a jejich úžasná nová dobrodružství)』、2018年から)

2000年からチェコ・コミック市場はかなりの勢いで発展してきています。それでも他の主要なコミック市場と比べれば規模が小さい。今現在、チェコにおいて、マンガ作家はマンガだけで食べていけるのでしょうか。それとも他の仕事を兼業しなければいけないのでしょうか。

そうですね。私が知る限りでは、二人、三人、いえ、四人ほどの作家がマンガだけで生計を立てています。ダン・チェルニー(Dan Černý)はマンガだけで生活している数少ない作家でしょう。私は絵を描くのが遅いので、マンガだけでは生きていくのは簡単ではありません。ストーリーもありますが、幾つかの基本的なテクニックさえ身に付ければマンガが半永久的に描けるとも思っていません。テクニックをおざなりにせず、かなり時間をかけて描きます。私のようにスピードが遅いマンガ家はマンガの収入だけで生きていくことは無理です。広告会社で働いていたこともありましたが、これは魂を完全に蝕むと言っても過言ではない仕事でした。そこは辞め、今は教育に携わっています。あとは絵本や雑誌の挿絵ですね。そういった仕事の方が、心が満たされます。

東京や北九州マンガミュージアムでのチェコ・コミック展では、チェコのどの作品でも、作家の個性に溢れているというコメントをたくさん頂きました。日本の消費経済では、マンガの創作の方針が違うという指摘もありました。「チェコのマンガ家は、一人一人のスタイルの違いに敏感で、マンガというよりは絵画に通じるものがある」と言われる方も多かったです。シュライフさんは、どう思われますか。

その通りだと思います。特に作家の魅力ですね。誰にでも描けるようなものであれば描く意味はないし、金を出してまで買わない。とはいえ、マンガ市場については日本とチェコでは規模が違いすぎるでしょう。単純に言ってしまえば、ヨーロッパの著名なマンガ家は芸術家だと考えられている。それに対して、これは主観ですが、日本ではマンガは産業です。出版社からも短時間で大量に消費されるヒット商品が求められる。そうすると、どんなに素晴らしいマンガ家が現れたとしても、マンガ家の社会的ポジションは絵描きや作家とのそれとは自ずと違ってきます。

シュライフさんのマンガには、よく、擬人化した動物が出てきます。これは昔から使われてきた用法ですが、なぜこの方法を使われるのでしょうか。

人間は、動物とかけ離れた偉大な存在だと思えないからです。特にキリスト教文化圏では、人間は特別な存在だという、大袈裟なイメージを持っているのではないでしょうか。けれども、私にとって、人は動物です。ただ少し思考力が発達している。

もう一つは、擬人化すると、人の精神の根底にある特徴が表面に見えてきます。だからこそ大昔から使われてきたのでしょう。擬人化を学術的に定義するのも面白いですが、何と言うか、この用法には私自身の心に強く響く何かがあるんです。まだまだ使っていきたいですね。そして、動物の擬人化と同じくらい興味があるのが動物と植物の関係です。自然には、どうしようもなく機械的に繰り返されていく形がある。それを観察するのが大好きです。それは植物だけに限らず、人、動物、生けるもの全てが同じような形を取り続けようとする。それはすでに機能的であって、その生物に有利なように出来ています。人と人、一つの環境での植物相や動物相。その絶対的な相関性に感動します。

シュライフさんが描く擬人化した動物

日本には少年マンガや少女マンガといったジャンルがあって、マンガ家もそれぞれジャンルで分けられているのが一般的です。ヨーロッパのマンガ家にはそう言ったジャンルはありません。それでもあえて質問させていただければ、どういったジャンルがお好きですか。

言われてみれば、これといった特別なジャンルには興味はありませんね。それしか読まないということもないし、こういったスタイルでしか描かないということもないです。ヒーローものも描いたことがありますし、ギャグマンガも描いていますしね。大学の卒業制作にはチェコの神話を描きました。様々なジャンルに手を出しているから、私のマンガを振り返ってみると、ポプリみたいなごちゃ混ぜ感はあります。

今までのシュライフさんの作品で一番気に入られているものは何ですか。描かれていて楽しかった作品はどれでしょうか。

今、ヨーロッパマンガの原点に戻ろうと思って、フキダシを使わない『ルレンカ(Lulenka)』というマンガを描いています。主人公は、パイプをくわえたお茶目で賢い女の子で、『Aargh!』で連載中です。ドイツの古いマンガのようにとにかく面白くって、それでいて粗野なところがある。ヴィルヘルム・ブッシュ調と言ったらいいかな。今はそれが楽しくて仕方ありません。

「ルレンカと腹痛(Lulenka a břichabol)」(雑誌『Aargh!』16号、2017年から)

他にも制作されていらっしゃいますか。

『ルレンカ』は、ほとんど自分の趣味ですが、その他にはチェコスロヴァキア政府の創立者の一人であったのに、天文学者で探検家という顔も持っていたミラン・ラスティスラフ・シュテファーニクの伝記をマンガに描いているところです。かなりの長編で、ストーリーはミハル・バラージュ(Michal Baláž)とガブリエラ・キセロヴァー(Gabriela Kyselová)、それから編集者と一緒に作っています。こんなに大人数でマンガの仕事をしたことは、今までにないんです。でも、ラビリント(Labyrint)社がこの仕事を依頼してきたとき、何を描きたいか、すぐにピンときて、やらせて欲しいと即答しました。この作品のストーリーボードを手直ししていて、ストーリーがどんなに考え抜かれたものか、急に実感した時があったんです。そうしたら、涙が出てきて……。ストーリーボードを描きながらっていうのは、初めてで驚きました。完成を楽しみにしていてください。

(翻訳:髙松美織)


ヴァーツラフ・シュライフさんが日本で制作した油絵の個展、「東京で解き放たれて」は、2019年2月8日(金)から3月15日(金)にかけてチェコセンター東京にて開催。2月8日(金)19時からの開会式にともない、シュライフさん本人も再来日し、自ら作品解説をする予定。詳細は以下のサイトからご確認ください。

ヴァーツラフ・シュライフ絵画展「東京で解き放たれて」

「東京で解き放たれて-Unleashed in Tokyo-」展出品作品

関連記事を読む:「チェコ・コミックの100年展―100 Years of Czech Comics」訪問レポート
関連記事を読む: 「チェコ・コミックの100年展―100 Years of Czech Comics」第2期訪問レポート
関連記事を読む: 講演「チェコ・コミック通史-20世紀を生き抜いたチェコ・コミック-」レポート(1)
関連記事を読む: 講演「チェコ・コミック通史-20世紀を生き抜いたチェコ・コミック-」レポート(2)
関連記事を読む:講演「チェコ・コミックと出版、展示」レポート(1)
関連記事を読む:講演「チェコ・コミックと出版、展示」レポート(2)

About Author

ジャン・ガスパール・ パーレニーチェク

Jean-Gaspard Páleníček。1978年プラハ生まれ。詩人、キュレーター。元チェコセンター・パリ・プログラムディレクター(2004~2017年)。音楽家ミロス・ボック(Miloš Bok)に師事し、その音楽の日本での紹介に尽力している(カメラータ・トウキョウからCD『クレド』が発売中)。フランス語とチェコ語で創作を行い、詩、散文、戯曲、音楽などさまざまな作品を発表。2017年に明治大学 米沢嘉博記念図書館で行われた「~日本におけるチェコ文化年2017~チェコ・コミックの100年展」のコーディネーターを務めた。

Leave A Reply