海外マンガの人々―小野耕世さんインタビュー

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海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、1960年代末から現在にいたるまで、約50年にわたって日本における海外マンガ翻訳・紹介の最前線に立ち続けてきた小野耕世さん。実は、小野さんのご関心は、マンガにとどまらず、映画、小説、さらには世界の文化全般におよびますが、今回は特に、小野さんが長く関わって来られた海外マンガについてお話をうかがいました。

小野耕世さん。最近のお仕事とともに。
左から著書の『長編マンガの先駆者たち――田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店、2017年)、訳書の『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム、2016年)、『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』(ヴィレッジブックス、2017年)

小野さんと海外マンガとの出会いはいつ頃だったのでしょう?

小学校1年か2年の頃、7歳くらいだったと思います。私は東京、世田谷の生まれで、父はマンガ家の小野佐世男でした。敗戦後すぐのことで、米軍基地からコミックブックが払い下げられて、日本中の古本屋で売られていたんです。『スーパーマン』とか『バットマン』とか『ミッキーマウス』とか『ポパイ』とか……。東京なら、神保町の古本屋に山のように積んであったし、近くの下北沢にも、小田急線で通っていた成城学園の駅の近くにもあった。あちこちにあったんですよ。一冊10円とか20円とか、場合によっては5円とか。最初に父に買ってもらったのは、『バットマン』とか『ミッキーマウス』などでした……。子供だったから、当然英語はわかりません。でも絵が綺麗なのに惹きつけられました。当時、もちろん日本にもマンガはたくさんあったけど、4色刷りのカラーのマンガなんて、ほとんどなかったですからね。絵を見ているだけで楽しかった。1949年に『スーパーマン』っていう月刊誌が日本のコミックス社という出版社から出てね。8号まで出ました。父に買ってもらって毎号読んで、小学校のクラスに持ちこんではみんなに宣伝してました。スーパーマンとバットマンのマンガが載ってるんだけど、バットマンのほうが好きでした。それを成城学園の小学校に持ち込んで、みんなに見せていましたね。私があまり熱心なので、つられて読む友人も出てきました。

当時買ったコミックスはまだお手元にあったりするんですか?

私が持っている一番古いアメリカのコミックスとなると、1947年の発行のものですね。ドナルドダックが表紙の『ウォルト・ディズニーズ・コミックス・アンド・ストーリーズ(Walt Disney’s Comics and Stories)』でね。この雑誌はいつも表紙がドナルドダックで、巻頭にドナルドのマンガが10ページくらい載ってて、最後がミッキーマウス。やっぱりドナルドがすごく人気だったんですね。当時、ドナルドを描いていたのがカール・バークスってマンガ家だと知ったのは、おとなになってアメリカのコミック・ファンと手紙でやりとりをしてからです。バークス夫妻には、1980年、手塚治虫さんたちと一緒にアメリカに行ったときに直接会うことができました。そのとき、1947年の雑誌を全部持っていって、バークスにサインをしてもらいました。今もあります。雑誌の『スーパーマン』の日本版を出していたコミックス社から『アメリカからきたゆかいなどうぶつたち』っていうDCコミックスの動物マンガを集めた本も出ていたなあ。アメリカにもないような、とても立派なハードカバーの本でした。表紙が取れたのをまだ持っています。当時はマンガ以外にも、アメリカの子供雑誌が翻訳されて日本で出ていた。今でも持っています。

『ウォルト・ディズニーズ・コミックス・アンド・ストーリーズ(Walt Disney’s Comics and Stories)』。写真は1952年7月号

小野さんがドナルドダックを語り倒した名著『ドナルド・ダックの世界像―ディズニーにみるアメリカの夢』(中公新書、1983年)。写真は1999年の復刻版

海外のマンガはその当時からずっと?

ずっと読んでます。途切れたことがないんですよ。最初のうちこそ、英語はわからなかったんですが、でもだんだん馴染んできます。毎日見てると、自然に英語が好きになって、読めるようになる。高校生のころには、どんなコミックブックでも完全に読めるようになってました。まだDCが中心で、マーベル・コミックスがない時代です。

高校、大学を出て、就職されて、海外マンガ関係のお仕事を始められたのはいつ頃のことでしょう?

『COM』という雑誌が手塚治虫主催の虫プロ商事から創刊されて(1967年)、あるとき、手塚治虫さんから電話がかかってきたんです。「小野さん、何か海外マンガの記事を書いてくださいよ」ってね。それで、1968年4月号から「海外まんが紹介」という連載が始まりました。たった1ページで、400時詰めの原稿用紙で3枚半ほどです。最初に書いたのが『スパイダーマン』の紹介記事です。マーベル・コミックスの前身は1930年代に生まれたんですが、『ファンタスティック・フォー』を皮切りに、新しいヒーローが登場して刷新されたのが1960年代初頭。『スパイダーマン』は1962年の登場です。私が大学生のころで、それまでのスーパーマンなんかとは全然違うスパイダーマンというヒーローがすごく気に入った。

小野さんのコラム「海外まんが紹介」が始まった『COM』1968年4月号

初回は「不安の時代の英雄 スーパー・アンチ・ヒーロー「スパイダーマン」」

手塚先生とは当時既にお知り合いだったのですか?

手塚さんと最初にお会いしたのは大学生になってからですね。マンガ家が集まるパーティーの席で、初対面だったんですが、一度手塚先生のお宅をお訪ねしたいってお願いしたんです。その場ですぐ日どりが決まりました。訪問日の前に確認の電話をしておけばよかったんだけど、なんだか恥ずかしくてね。結局、当日、いきなり行くことになったんですが、そしたら、向こうのほうで訪問日を勘違いしておられて、「昨日はお待ちしておりましたが……」とマネージャーの人に言われてしまった。確認の電話をしなかったのを口惜しみました。それでも、親切に中に入れてくれましたよ。螺旋階段があって、手塚先生は2階で仕事をしてた。ちょうど『キャプテンKen』を描いていました。1、2時間お邪魔して、当時のアメリカのマンガの話なんかもしたんです。驚いたことに、そのとき私の話したことが、すぐあとに出た『S-Fマガジン』に書いてあった! アメリカのマンガは今こうなってるって、手塚先生が(私の名を出さずに自分のことばとして)書いていた(笑)。忙しく筆を走らせて『キャプテンKen』を描きながら、手塚さんが人の話をしっかり聞いていることに、私はむしろ感銘を受けました。そんなこともあって、手塚さんとはその後、よく会うようになりました。海外旅行にも、中国2回、アメリカ2回、ヨーロッパ2回、全部で6回、一緒に行っています。

小野さんによる手塚治虫の伝記『手塚治虫―マンガの宇宙へ旅立つ』(ブロンズ新社、1989年)

『COM』の連載をきっかけに、いろいろな仕事を…

そうですね。1970年代に入ってからは、『S-Fマガジン』で「SFコミックスの世界」という連載を始めました。『COM』よりずっと長い文章を書くことができて、何も言われないのをいいことに、原稿用紙40枚くらいを毎号書いていました。連載は40回続いた。いろんなことを書きましたが、マーベルのことが中心です。その後、『バットマンになりたい 小野耕世のコミックス世界』(晶文社)という本にまとまりました。その本には、マンガのことだけじゃなくて、アニメのこともずいぶん書いてあって、アニメーション作家のノーマン・マクラレンなんかにもインタビューしています。それから、イタリアのルッカ国際コミックス大会に、日本人として初めて、1972年に参加したこととかね。

小野さんの連載「SFコミックスの世界」が始まった『S-Fマガジン』1971年1月号

記念すべき第1回。8ページの長文

ウィンザー・マッケイの『リトル・ニモ』も既にこの本で紹介されています。

1940年代にアメリカで出た『ザ・コミックス』(Coulton Waugh, The Comics, Macmillan, 1947)というコミックス史の本があるんです。あるとき、その原書を借りたんですね。読んでビックリしました。カラーページが3枚入っていて、そのうちの1枚が『リトル・ニモ』だったんです。見た瞬間に惹きつけられました。太陽がぱあっと昇ってくシーンで夢から醒める。このマンガはすごい、原書を読みたいと思いました。『ザ・コミックス』で知った本では、『クレイジー・キャット』も好きだけど、やっぱり『リトル・ニモ』がすごいな。それでいろいろ調べて、原書を集め、自分で翻訳することになるわけです(※最初の翻訳は、ウィンザー・マッケイ『夢の国のリトル・ニモ』〈小野耕世訳、PARCO出版局、1976年〉)。『ザ・コミックス』は古い本だから、評価は人によってわかれるところだろうけど、歴史的名著だから、これまでに二度、1970年代と1990年代に復刻刊行されています。実は哲学者の鶴見俊輔さんもこの本を読んで参考にしていてね。鶴見さんは戦時中にインドネシアで私の父と交流があった方で、直接その頃のお話をうかがっていますけれど、いろいろとつながりを感じますよ。
※Coulton Waugh, The Comicsは、現在、University press of Mississippiから復刻版が刊行中。
http://www.upress.state.ms.us/books/130

2014年に出版された『リトル・ニモ』の決定版。ウィンザー・マッケイ『リトル・ニモ 1905-1914』(小野耕世訳、小学館集英社プロダクション、2014年)

小野さんがすごいのは、当時の最新のアメリカのコミックスを紹介したかと思えば、古典的作品の掘り起しをしたり、ヨーロッパやアジアのマンガまで紹介していることです。

最初に大好きになったヨーロッパのコミックスは、『タンタンの冒険』でした。1950年代末、大学生になった頃、神田の古本屋のコミックブックの山の中に、『レッド・ラッカムの宝』のイギリス版があったんですよ。読んだら、面白い。アメリカのマンガとは、またまったく違ってね。さっそく丸善でイギリス版を全冊注文しましたよ。ヨーロッパのマンガも英語版を通じて知ったんですね。

さらにすごいのは、ただ本を読んで日本に紹介していくだけじゃなくて、世界中を旅し、世界中のマンガ関係者に実際に会い、交流していることです。『フランスコミック・アート展2003』のカタログに書かれていたと思いますが、1960年代末にスキーで骨折して、その間に海外のマンガ関係者に手紙を書いたのでしたっけ?

冬休みに友達と一緒にスキーに行って骨折したんです。タクシーで東京まで帰ってきたんですが、タクシー代が10万円かかりました(笑)。当時、NHKで働いていたんだけど、入院中で仕事もできない。逆に暇ができたんで、欧米のマンガ関係者に、やたらに手紙を書いたんです。そのことが土台になって、1972年、イタリアのルッカで行われているコミックス大会に招待してもらえることになった。日本は遠いから、飛行機代は片道だけ出すという条件でね。せっかくだからいろいろ回ろうということになって、ルッカに行く前に、まずアメリカに寄った。サンフランシスコで、ロバート・クラムやアンダーグラウンド・コミックスを描いていた連中と会った。それからニューヨークに行って、スタン・リーをはじめ、マーベルやDCコミックスの関係者に会った。お次はロンドン、それからバルセロナ。バルセロナでは出版社の社長には結局会えず、でも、ホテル・ガウディというホテルを予約しておいてくれて、秘書のお嬢さんが市内観光につき合ってくれましたよ。それから、パリ。バンド・デシネ作家で『フィレモン(Philémon)』で有名なフレッドや『バーバレラ(Barbarella)』のジャン=クロード・フォレスト、編集者のクロード・モリテルニやジャン=ピエール・ディオネと会いました。それからやっとルッカ。パリで会ったクロード・モリテルニやアメリカ漫画協会のデイヴィッド・パスカルなどの顔見知りもいたし、世界中からいろんなマンガ関係者が集まっていた。『フラッシュ・ゴードン』のアル・ウィリアムスンも、とても親切にしてくれました。
※この当時のことをより詳しく知りたい人は「紅葉の散るルッカ 国際コミックス大会に出席して」『バットマンになりたい 小野耕世のコミックス世界』(晶文社、1974年)、「フランスBD界との出会い」『フランスコミック・アート展 図録』(I.D.F、2003年)を参照のこと。

1983年には、『いまアジアが面白い―マンガ・映画・アニメーション』(晶文社)という本を出されていますが、アジアのマンガに対する関心はどういったきっかけで…

1970年代から、映画祭に呼ばれて、ソ連や中央アジア、インド、東アジア、東南アジアなど、さまざまな地域を訪れる機会が増えてきたんです。そして、もしアニメスタジオを訪れたり、マンガ関係者に会える機会があれば、それを逃さないようにしていました。アジアのマンガへの興味という意味で特に大きかったのは、1981年にマレーシアのマンガ家ラットに会ったことです。彼の代表作は、現在、『カンポンボーイ』というタイトルで東京外国語大学出版会から出版されていますが(左右田直規監訳、稗田奈津江訳、2014年)、元々は私が推薦して『カンポンのガキ大将』というタイトルで晶文社から出版されていたんです(荻島早苗、末吉美栄子訳、1984年)。

ラットの『タウンボーイ』の絵を表紙にあしらった『いまアジアが面白い―マンガ・映画・アニメーション』(晶文社、1983年)

アジアのマンガについては、『アジアのマンガ』(大修館書店、1993年)という本もある

小野さんは翻訳も多いし、著書も多いですが、特に思い入れが強い本はありますか?

やっぱり最初の著書『バットマンになりたい 小野耕世のコミックス世界』は印象に残っていますね。愛着ということでいうと、私自身のSF短編小説集『銀河連邦のクリスマス』、あれが一番愛着があるんですよ。当時、中田耕治さんや星新一さん、井上ひさしさん、鈴木いづみさんなんかが褒めてくださってうれしかったなあ。どちらも晶文社から出たのですが、いまは絶版です。

『バットマンになりたい 小野耕世のコミックス世界』(晶文社、1974年)

『銀河連邦のクリスマス』(晶文社、1978年)

その他、広大なアメリカン・コミックスの世界を俯瞰した『アメリカン・コミックス大全』(晶文社、2005年)もオススメ

海外マンガファンとしては、『世界コミックスの想像力―グラフィック・ノヴェルの冒険』(青土社、2011年)も読んでおきたい

翻訳ではいかがでしょう?

いろいろありますね、『フリッツ・ザ・キャット』に『スパイダーマン』、それから『リトル・ニモ』、『マウス』……。『マウス』の作者アート・スピーゲルマンも、日本に一度だけ来たことがあってね。私の家にも来てもらって、父(小野佐世男)の油絵を見せたら感心していました。いろいろな話をしましたよ。来日は一度だけなのが残念です。

最初の翻訳から40年以上の歳月を経てコンプリート版が出版されたロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(小野耕世訳、復刊ドットコム、2016年)

世界マンガの最重要作品のひとつアート・スピーゲルマン『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、晶文社、1991年)

実現した企画がいろいろある一方で、実現しなかった企画というのもあるのではないかと想像するわけですが…

1972年にルッカでグィド・クレパクスに会って、『ビアンカ』という本をもらったんです。この本は日本では、東都書房から出たんですが(グイド・クレパックス『ビアンカ』小野耕世訳、東都書房、1974年)、東都書房っていうのは、講談社の中にあった会社で、講談社の編集者、内田勝さんが働きかけてくれたんです。で、その内田さんが、「小野さんが編集して世界のマンガの傑作選みたいなのをシリーズで出したらどうか」って、社内で提案してくれたことがあったんですよ。当時、文庫本のブームでね。その世界マンガの傑作選も文庫ではどうか―と内田さんの下の人が言ってきて、それじゃ無理だと私は断った。なんでも文庫にすればいいってものではないですからね。訳したいと思うものはいろいろあって、出版社にさんざん持ち込んでみたけどダメだった、というのは今でもありますね。

2017年には、『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』という立派な本が翻訳されました。

このタイミングで、と驚いた本でした。学生の頃、初めて読んだ『スパイダーマン』のコミックスを、今、こうやって訳すことになったわけですから。訳していていろいろ勉強になりましたよ。他のところにも書いたけど、この本は、まだ日本版が出たことのないスパイダーマンの最初の2年あまり(1962-1964)のシリーズを翻訳したのですが、全250ページのどのページ、どのコマにも、黒人がひとりも出てこないんです。ニューヨークが舞台なのに、通行人にも黒人がいない。そういう時代だったのですよ。スタン・リーに偏見があるとかそういうことじゃなくて、それが当然な時代だった。スタン・リーも、絵を描いているスティーブ・ディッコもそのことに無自覚だった……。でもアイディアや話はおもしろいんです。会話もいい。さすがスタン・リーだなって。高校生のヒーローを初めて出した『スパイダーマン』初期の物語がたちまち人気を得たのは当たり前だなって思いますよね。コミックブックっていうのはもともと小学生くらいが読むようなものだったんですが、『スパイダーマン』などの成功で、高校生や大学生のヒーローが登場して、読者層が上がっていったんですよ。世界中で言えることですけどね。

スタン・リー(ライター)、スティーブ・ディッコ(アーティスト)『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』(小野耕世訳、ヴィレッジブックス、2017年)

最後に最新のお仕事について教えてください。

1月上旬にスペインの作家パコ・ロカの『家』という本が小学館集英社プロダクションから出ました。2011年に『皺』という翻訳が出た作家の2冊目の翻訳ですね。高木菜々さんという方がスペイン語から翻訳して、私が監訳として手を入れています。自分の父親の死を経験した作者が、父への思い出と兄弟家族の関係を、父が残した家の修復をめぐって、しみじみと描いています。とてもいいマンガなので、ぜひ読んでいただきたいですね。

パコ・ロカ『家』(小野耕世監訳、高木奈々訳、小学館集英社プロダクション、2018年)

About Author

原 正人

1974年静岡県生まれ。フランスのマンガ“バンド・デシネ”の翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。「世界のマンガについてゆるーく考える会」主宰。もちろん日本のマンガも大好き。

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