海外マンガの人々―青柳悦子さんインタビュー

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海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、筑波大学人文社会系教授で、フランス系文学理論や小説言語論、北アフリカ文学を専門にされている青柳悦子さん。青柳さんは既に何冊も小説の翻訳をされていますが、2018年6月に彩流社からアルベール・カミュのあまりにも有名な小説『異邦人』をジャック・フェランデズがバンド・デシネにアダプテーションした『バンド・デシネ異邦人』を翻訳出版されました。

青柳悦子さん

青柳さんのことをまだ知らないという海外マンガファンもいるのではないかと思います。ご職業やご専門、現在関心を持たれていることなど、簡単にご紹介いただけますでしょうか?

ご紹介いただいたように、フランス語を使って文学の研究をする人間で、小説叙述の言語的特徴を考えたり、デリダなどいわゆる哲学的な文学理論に興味を持ってきました。大学では世界のいろいろな文学を教えたり、日本文学を専攻する学生(とくに留学生)の指導をすることも多いです。15年ぐらい前から北アフリカ地域のフランス語文学に関心を持つようになりました。それまでフランス経由でこの地域を見ていたことへの自戒の念が一つの動機ですが、知られざる傑作が一杯あるのです。それで、研究するだけでなく、まず紹介が必要だと感じ、チュニジアやアルジェリアの小説の翻訳を手掛けました。言語と言語を往復する翻訳の作業はやめられないほど大好きです。

青柳悦子『デリダで読む『千夜一夜』―文学と範例性』(新曜社、2009年)

エムナ・ベルハージ・ヤヒヤ『青の魔法』(青柳悦子訳、彩流社、2015年)

青柳さんはフランス語圏に留学や滞在をされたのではないかと思いますが、その当時バンド・デシネはお読みになりましたか?

1990年から2年間パリにいた時は、(私も心酔していた)大友克洋の『AKIRA』の単行本第5巻が日本で出た時期だったのですが、それを手に入れて夢中で読んでいる人たち(ちょっと「意識の高い」青年たちが多かったように思います)の熱狂ぶりに新しい流れを感じました。バンド・デシネではメビウスの世界に陶酔を覚えましたが、貧乏留学生にとってはBD本は高価で、人に見せてもらうのがゆっくり読める唯一の方法でした。子供向け以外のBDのファンと言えば男性という時代だったので、そっちの世界に深入りするのはけっこう「面倒」を伴いそうでもあり、ペンディングになった感じでしょうか。BDに浸るにはリスクを伴う(!)時代でした(もちろん私見)。

青柳さんは今年6月にアルベール・カミュの原作をもとにジャック・フェランデズが手がけた『バンド・デシネ異邦人』を翻訳されました。この本はどういった経緯で出版されたのでしょう?

このBD作品の真価に目覚めてから、まず大学の専門科目(越境文学をテーマとした授業)の教材の一つとして学生たちに紹介したいと思いました。受講生にはフランス語は使わない学生も多いので、結局吹き出しの台詞をホワイトで消して手書きで訳を書き入れたものを配り、原作小説と対比させて議論してもらいました。そうしているうちにますますこの作品は広く紹介すべきだと確信し、出版社に持ちかけ、断られては別を紹介してもらう、という経緯のあと、結局、彩流社の編集者の方に受け入れてもらうことができました。それからも訳文推敲にはずいぶん手間をかけました。ところでBDは本の単価が高くなりがちですが、版型もできるだけ大きめに、そして美しい色彩も生きるように出版社には配慮していただき、しかも2000円を切る価格! 大感謝です。

アルベール・カミュ原作、ジャック・フェランデズ作・画『バンド・デシネ異邦人』(青柳悦子訳、彩流社、2018年)

アルベール・カミュの『異邦人』は今なお世界中で読まれ、日本でも人気がある小説です。改めてこの作品はどのような作品なのでしょうか? 簡単にご紹介いただけるとありがたいです。

まず、潔癖すぎるほど自分に正直に生きようとするあまり社会から受け入れられない孤高の青年の物語だと言えます。「生きにくさ」と世間との距離を感じる今の若い方々も、思わず共感を覚える作品でしょう。筋としてはアルジェに住む青年が平穏な生活から、殺人、投獄、死刑判決、とドラマチックに転落していくサスペンスフルな物語です。この小説は主人公が精神の反抗を貫くブラックヒーローものとも言えますし、本当の悪漢小説かもしれません。哲学的心理小説でもありますが、全体が読者をおちょくる戯画なのかもしれません。それでいて繊細な感受性に溢れた珠玉の感動作とも言えます。というわけで絶妙な謎としてある作品ですね。太宰の『人間失格』に似て、読者が、私こそこの主人公だ、と秘かに思いたくなってしまうような不思議な磁力があると思います。

 

この本がフランスで出版されたときに、僕はどうせ原作小説のほうが上だろうと決めつけて、手に取ることすらしませんでした(笑)。本書の訳者の立場から、小説版と比較して『バンド・デシネ異邦人』にはどのような魅力があるのでしょう?

私も『異邦人』のBD版だなんて失敗に決まっていると思って、何年も無視していました。それがフェランデズのカミュ翻案第一作である『客』をたまたま読んで、目から鱗の驚愕の体験をしました。もうはるか昔の話ですが、私は卒論・修論ではカミュをやっていたんです。でも本当に手応えのある切り込み口を見つけられず、文学研究の方法論の方を専門とするようになりました。ところがフェランデズ版は、カミュ文学のコンテキストを丁寧に再現することで、彼の作品の有する圧倒的なふくらみと切実さをダイレクトに読者の中に喚起します。おかげで私はほぼ40年を経て、カミュと出会い直すことができました。

さきほど『異邦人』はときに読者をおちょくるように思えると言いましたが、フェランデズ版はいわばストレートに訴えかけてきます。素性が良いと言いますか…。たとえばマリーは、輝き渡るような若い肉体美と健全さに満ちた、また本当にムルソーを愛している女性としてBD版では描かれています。小説ではムルソーというフィルターを通しているせいか、マリーもまた、読者にとって不明瞭な存在だと思います。ある意味でこの単純化によって、ムルソーの最後の激昂の台詞もBD版ではすみずみまで真っすぐに読者の心に訴えかけてくるように思います。

このBD版を読んでいると読者である自分が『異邦人』という小説をこれまで、韜晦趣味の知的ゲームであるかのように受け取り、狭い型にはめて裏切ってきたような反省に捉えられるのではないでしょうか。このBDの美しい水彩画、とくに最後のページの静謐な夜空の絶妙な青色(牢獄のブルー・グレーの壁の色も)などはこの小説に対するBD作家の深いオマージュであるわけですが、それが私たち読者のカミュとこの作品に対する慰謝を代弁してくれているように私は感じ入っています。

物語の第1ページ目。
『バンド・デシネ異邦人』P9
By Jacques Ferrandez, based upon Albert Camus © Gallimard, 2013

ムルソーとマリー。
『バンド・デシネ異邦人』P58
By Jacques Ferrandez, based upon Albert Camus © Gallimard, 2013

ジャック・フェランデズの単行本が邦訳出版されたのは今回が初めてなのではないかと思います。この作家はどんな作家なのか、ご存じの範囲でお教えください。

BD作家としては特に売れっ子というわけではありませんが、刊行点数ですでに40作ほどを出している中堅作家と言えるでしょうか。探偵=犯罪小説のシリーズ(作画担当)でデビューし、アルジェリア生まれ(生後3か月のときに家族で仏本土ニースに移住)ということもあって、南フランスを題材としたもののほかに、地中海周辺地域(シリア、イラク、サラエボなど)の紀行画集を何点も出しています。代表作としてまず、植民地期のアルジェリアの130年に渡る歴史を問い直した『オリエント画帖』全10巻があげられます。サスペンスもので鍛えた劇画風の人物描写とドラマチックな物語展開、そして背景の描写力といったこの作家の持ち味が、圧倒的な歴史的考証と相まって、ほかの作品とは別次元の境地を出現させています。アルジェリア植民地とはなんだったのかという激しい問いがその裏にあるでしょう。こうして培った実力と問いかけが結集したのが、カミュ文学の翻案三作(『客』『異邦人』『最初の人間』)だと言えます。

ジャック・フェランデズのさまざまな作品

私は今のところ、メールでしかやりとりしていないのですが、フェランデズ氏は(本当にフランス人なのかと思うほど!)非常にフレンドリーで、誠実な人物だと感じています。派手さはないかもしれませんが、侮れない深さに満ちている、彼の作品どおりの人柄という印象です。早くお会いしてみたいです。

※Comic Street編集部註:『バンド・デシネ異邦人』冒頭の「日本のみなさまへ」という挨拶文にも記されていますが、ジャック・フェランデズの「まつぼっくり電車」という短編が『週刊モーニング』の1994年3月31日発売号に掲載されています。

ジャック・フェランデズ「まつぼっくり電車」1ページ目

青柳さんは北アフリカの文学をご専門にされているそうですが、北アフリカのマンガ事情についてもご存じでしょうか? 何かご存じのことがあればお教えください。

マンガはなんといっても印刷・出版が発達した社会でないと発展しません。本屋すらろくに存在しないチュニジアやアルジェリアでは、見かけるのは子供向けの数ページの絵本ぐらいで、マンガ本は見たことがありませんでした。ところが最近、アルジェリアのマンガ史50年を振り返った大著を手にして、蒙を啓かれました。調べてみるとアルジェリアには(どれだけ流通したかは不明ですが)半世紀以上に渡るバンド・デシネの歴史があり、オールカラーがおそらく技術的・経費的に難しいせいもあって、線描性を生かした白黒の、いわば日本のマンガ風の作品が、かなり前から蓄積されてきたようです。それが2000年代を迎えてアルジェリアもネット社会となり、まさに日本のマンガがWEB上(の違法コピー)でどんどん見られるようになったおかげで、日本マンガの手法で自己表現する若者が多数出現してきたようです。日本マンガと日本関連情報を専門とする小冊子風の雑誌も刊行されています。浦沢直樹そっくりの絵柄で描かれるアルジェの少年たちの物語や、カビリー版の少女戦士ヒーロー(カビリ―とは独特の文化を持つアルジェリアの山岳地帯)、『モーニング』に載りそうな社会派の青年ドラマなど、興味を惹かれるものがたくさん見つかりました(インターネットを通じて!)。この傾向が現在アルジェリアを地中海東岸・南岸地域随一の(あるいはトルコに並ぶ)マンガ新興国としているようです。

アルジェリアのマンガ史50年を振り返った本

日本のマンガ・アニメの影響が顕著なアルジェリアのマンガ雑誌

一方両隣のチュニジアとモロッコは旧宗主国フランスの影響そのままに、オールカラーの芸術的なBDのスタイルに傾いていて、書き手は恵まれた環境にある美大出身者に限られたり、限定私家版のみの(あるいはそれに近い)流通状況であったりするようです。

これからはぜひ、現地に赴いた折に、マンガ探索をしてみたいです。

バンド・デシネや海外マンガで気になっている作品や好きな作品はありますか? 合わせてどういったところが好きなのか、どういった点で気になっているのかお教えください。

ジュリー・マロ『ブルーは熱い色』では強い感動にとらえられました。墨絵のような、でも気持ちよくない絵柄なのですが読んでいるうちにその深みにだんだんはまっていって、それがラストのどうしようもないほどの切なさへとつながりました。最初少し違和感のあるような絵の方が、かけがえのないこだわりにつながるようです。

これまで見たこともないアフリカンなデザインが新鮮なビルギッド・ヴァイエの『マッドジャーマンズーードイツ移民物語』と、単純化された画面がおしゃれなマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』(アニメ版もよいですが)もとても気に入っています。どちらも深刻な社会問題や歴史事情のなかにぐいぐい入り込ませてくれます。パコ・ロカの『皺』も愛着の一冊(こちらはアニメ版よりもマンガ版の方がより好きです)。ゆっくり、じっくりと、コマを見つめていたいです。老いというテーマともかかわるわけですが、読み手の体験としても時間の流れが変わります。ショーン・タン『アライバル』は幻惑に満ちた美しさ。そし原さんが訳されているバスティアン・ヴィヴェスの『塩素の味』と『ポリーナ』。ほんとに天才ですねこの描き手は! とくに『塩素の味』には、その美的センスに陶酔するとともに、水と沈黙といったテーマ、水中だからこその意外な角度からの身体の発見、少しエスニックな感じの謎めいたヒロインの設定など、いろいろ味わい深くて興味が尽きません。

最後に最新のお仕事や今後の予定についてお教えください。

アルジェリア関係が続きそうです。幸いフェランデズによるBD翻案版の『客』と『最初の人間』の邦訳も出版できることになりました。訳稿づくりはこれからですが。研究としてもアルベール・カミュの文学を「アルジェリアのフランス人」という文脈から読み直す作業を深めて行きたいです。矛盾に満ちた彼の哲学や文章の深みがもっとわかってくると思うのです。また翻訳としては、アルジェリアの現代小説家ブアレーム・サンサールの最高傑作『ドイツ人の村』の日本語訳を出します。先ごろ入稿したところです。そのほか研究方面では、アルジェリア文学の元祖といわれるムルド・フェラウンの作品の言語論的特徴を入念に分析することで文学言語そのものの可能性を掘り下げる論文の続編を書くつもりが中断したままです。また、アルジェリアのマンガ事情には関心が湧いたので、今度行ったら絶対に情報収集しようと思っています。

『客』(Albert Camus, Jacques Ferrandez, L’Hôte, Gallimard Jeunesse, 2009)

『最初の人間』(Albert Camus, Jacques Ferrandez, Le Premier Homme, Gallimard Jeunesse, 2017)

About Author

原 正人

1974年静岡県生まれ。フランスのマンガ“バンド・デシネ”の翻訳者。訳書にバスティアン・ヴィヴェス『ポリーナ』(小学館集英社プロダクション)、マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン&ケラスコエット『かわいい闇』(河出書房新社)など。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。「世界のマンガについてゆるーく考える会」主宰。もちろん日本のマンガも大好き。

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