海外マンガの人々―ティエリ・ロバンさんインタビュー

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海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、ファビアン・ニュリとの共著『スターリンの葬送狂騒曲』(大西愛子訳、小学館集英社プロダクション、2018年)で知られるフランスのバンド・デシネ作家ティエリ・ロバンさんです。現在、ご家族とともに中国にお住まいのロバンさんが、今年2月、中国の旧正月にあたる春節に来日されたので、インタビューをさせていただきました。

ティエリ・ロバンさん(Thierry Robin)

日本にいらっしゃるのは今回が初めてですか?

今回で3回目です。最初に来日したのは25年前で、当時チベットを旅していて、突然日本に行ってみたいなあと思い立って、飛行機に乗ったんです。ですからまったく事前準備もしていませんでした。2度目は講談社からの招待で、当時、『モーニング』という雑誌の企画で、1カ月間日本に来てマンガを描くという提案を受けたのです。それで、その雑誌に1篇の作品を描きました。典型的なフランスの村祭の様子を描いたとても短い作品で、メリーゴーランドとか、怪物の館とか、そんなのが出てきます。当時読者からの感想が届いて、こんな繊細なものは日本で見たことがないとか言われて、とても嬉しかったのを覚えていますね。

ロバン名義で『モーニング』1994年3月17日(13)号に掲載された「遊園地」。
さまざまな海外作家のオリジナル短編を掲載する「ピエールと友達」というコーナーの第70回

今は、3年前から家族と一緒に上海に住んでいます。中国で暮らしているのには、いろんな理由があるのですが、ずいぶん前に『紅の中国(Rouge de Chine)』という作品を書いて、それが中国のある編集者の目にとまったことがきっかけです。それで中国国内向けに作品を書いてくれないかというオファーをいただきました。中国国外の作家が作品を描くというのは初の試みだそうです。作品自体はもう描き上がっているのですが、まあ毎度のことながら、出版に至るまでにはさまざまな困難があり、今は本が出版されるのを待っているという状態ですね。

『紅の中国』第4巻(Rouge de Chine, Delcourt, T4, 1996)

『スターリンの葬送狂騒曲』の舞台はソ連ですが、ソ連や中国のような共産圏、社会主義の国に興味がおありなのでしょうか?

そうみたいですね(笑)。自覚はしてなかったのですが、とても強い興味があるみたいです。作家というのは必ずしも自分が何に関心があるかはっきりとわかっていないことがあります。そして、たまたまある種のテーマに強く反応することがあるのです。時には偶然に。それがスターリンのケースでした。もう何年ぐらい前になりますか、ラジオでドキュメンタリーの番組をやっているのをたまたま聞いていたんです。なんということもない短い番組で、ただスターリンの生涯、政治的な歩みを紹介するものでした。でも、その放送を聴いたとき、「これだ、私のテーマはこれだ!」と確信したのです。私にとって、とても重要なテーマで、絶対にやらなくてはならないと思いました。

当初、私はスターリンの一生を描くつもりでした。特に政治的な道のりを描きたかったので、それには膨大な資料を集める必要がありました。1910~50年代あたりの当時の服装、政治的な活動や運動の流れ、彼が粛清した人たち、彼のキャリア、レーニンやトロツキーとの確執、抗争などなどです。それで作品を描き始めて、描いたものが『スターリンの葬送狂騒曲』の巻末にも一部収録されていますが、その35ページを描くのにものすごく時間がかかったのです。6カ月くらいかかったでしょうか。それで、その作品を生涯かけて描いた場合、どれくらいかかるだろうと思ったのです。1000ページくらいの作品になったでしょうね。1918年くらいまで描くのに35ページかかったわけですから。彼の人生に占める割合を計算して全体を見ると、とてもじゃないけど長すぎるのでその作品は諦めました。

『スターリンの葬送狂騒曲』に収録されているティエリ・ロバンの未発表原画

ちょうど、その作品を描くのを諦めたときにダルゴー社から連絡をもらい、ファビアン・ニュリがスターリンの最期をめぐる3日間の話についてシナリオを書いたのだけど、関心があるか、と聞かれたのです。それで、もちろん読みたい、まさに今そのテーマに取り組んでいたんだと言いました。シナリオを読んだら、これが素晴らしかったので、すぐに絵を描こうと決めました。

ファビアン・ニュリ原作・ティエリ・ロバン作画『スターリンの葬送狂騒曲』(大西愛子訳、小学館集英社プロダクション、2018年)

もともとどういった経緯でバンド・デシネの作家になられたのですか?

子供の頃からバンド・デシネの作画家になりたかったのです。ですから決断の時みたいなものはありませんでした。バンド・デシネとの出会いは雑誌『スピルー(Spirou)』でした。ベルギーで出版されていた雑誌で、今でもありますが、表現方法がすごいと思って、素晴らしい仕事だと思いました。というのも、当時『バンド・デシネの作家になるには(Comment on devient créateur de bandes dessinées)』というフランカンとジジェのインタビュー本があって、その中でふたりが自分たちの仕事について語っていたんです。私は絵を描くのが好きで、ずっと続けたいと思っていたので、両親にも話したら、彼らも応援してくれました。そういう意味でもラッキーでしたね。そんなわけで、自然に、なんの障害もなく今の仕事に就いたんです。

あとになって、この仕事のもっとも興味深いところは単に絵を描くということだけでなく、むしろ物語を語るということにあると気づきました。若いときは、絵さえ描いてればいいと思っていましたが、その後、私の関心の対象もずいぶん変わってきて、今では物語を描く、考えることに重点を置いています。カット割や語り口を考えるだとか、そういうのは無限の楽しみです。毎回新しい楽しみがありますね。

特に影響を受けたバンド・デシネ作家はいますか?

デュピュイ社のかつての作家たちですね。アンドレ・フランカン、『アステリックス』の作者のアルベール・ユデルゾとルネ・ゴシニ、そのほか子供向けの作家といわれている人たち、などです。これは私の性格なのですが、いつも好奇心を持ってアンテナを張っていて、なんにでも興味を持つようにしているんです。アメコミもできるだけ読みましたし、マンガも読みました。そこから何かを取り入れようとしたのです。あとはイラストレーターの作品もたくさん見ました。たとえば、ここ10年くらいは20世紀初頭の偉大なイラストレーターの作品に関心を持って見ています。ドイツの作家たち……風刺画家とか、ドイツの雑誌に作品を発表していた人たちです。1世紀も前の作品なのですが、いまだに現代的で素晴らしいです。あとは中国のマンガもいろいろと探していて、特に古い伝統的な中国のマンガに関心があります。そうやってあちこちから自分の仕事を豊かにするためにさまざまなものを取り入れようとしています。今朝も江戸東京博物館に行ってきたのですが、娘と一緒に素晴らしい掛け軸などを見てきました。もちろんすぐに掛け軸の本を買いましたよ。そこからも何か吸収できればと思っています。

ニュリさんとのお仕事はいかがでしたか?

彼はパリに住んでいて、当時私はブリュッセルに住んでいましたから、主に電話やスカイプでやりとりしていました。ときどき実際に会ったりもしましたね。彼との共同作業はとても面白いものでした。私は、ただ絵を描くだけの人というのにはなりたくないのです。シナリオをもらって、ただ絵を描くというでは、あまり楽しくはありませんから。シナリオ作家と仕事するのはあまりやったことがなかったのですが、素材をこねるところから一緒に始めたいと思いました。

『スターリンの葬送狂騒曲』の原作者ファビアン・ニュリ(Fabien Nury)

まず彼が第一稿を送ってくれて、それをもとに最初のカット割を作りました。最初に絵で提案をするんです。それをもとに議論を交わして、カット割りやコマ割りが変更になったりもしました。セリフを削除したりもしました。絵にすれば、それだけでわかることもあるわけです。そういうとき、説明的なセリフは必要なくなりますから、そういう不要なものはずいぶん削除しました。ときには、彼の意見に賛成しなかったりもしました。そんなときは、ずいぶん議論しましたね。こうして、とてもいい語り口を作り上げるシステムができたのです。

短いページ数の中にとても濃い内容が詰まっていますが、とても読みやすいのが印象的でした。

そうですね。流れるような語り口というのは毎回注意を払っていることです。そのために何時間もかけます。このようなカット割りはササッと描けるのですが、こういうものを10通りくらい描くんですよ。そして模索するのです。ここはアップにしようとか、このコマを強調しようとか。そうして読みやすさ、流れるような語り口を模索しています。毎度興味を持ってもらえるように、飽きさせないように。四角いコマだけでなく、丸いコマを用いたりして毎回新しいページ作りをしています。これがバンド・デシネの語り口の仕事ですよね。ページに好きなように服を着せることができる。この作業のために何時間でも費やすことができるのです。とはいえ、そういう工夫に読者が気づいてしまうことは避けなくてはならない。そのことはいつも頭にあります。読者が、私たちの仕事のことに一切気づかずに物語りに引き込まれて、最後まで読んでもらえるのがいちばんいいんです。

『スターリンの葬送狂騒曲』の印象的なコマ割り

それについて、ひとつ付け加えさせてください。私の数少ない日本での経験からなのですが、かつて講談社と仕事をしたとき、彼らはとても積極的に語り口について意見を言ってきたのです。作家さんがネームを持ってくると、ここはやり直したほうがいいとか、ここはダメとか、ここはとてもいいけど、このコマはあんまりとか……そういう光景をよく見ました。私は、このように批評家の目で見る人がいるというのは素晴らしいことだと思います。解決策を提案したりできる人、少なくともうまくいっていないところを指摘する、あるいは改善できるところを指摘することができる人がいるというのは素晴らしいです。残念ながらフランスではこういうふうにはいかないのです。編集者はいますが、あまり創作には介入してこない。それは、フランスの作家が自分の独自性とか自由とかを主張して要求するからなのですが、結果として時に、あまりうまく描かれていない作品ができてしまうことがあります。第三者の目で見て、ここはうまく伝わらない、ここは長すぎる、カットしたほうがいいとか意見を言う人がいたほうがいいんです。こういうことをフランスの編集者と仕事するときにはあまりできなかったのですが、でもシナリオ作家と一緒なら、似たようなことができたのです。ですから、ニュリとはできるだけ正確で最高のクオリティのものができるように、何度も何度もやりとりをしました。

次の作品は、中国で出版するものになるのですが、妻と一緒に仕事しています。彼女は出版社の社長で、編集者で、ほんとに厳しくて、まったく私に容赦しないんですよ。うまくいってないときは、はっきりと言ってきます。もちろん言われると辛いですよ。一生懸命描いた5ページがゴミ箱行き、最初から描き直しなんてね。でも結局、妻の言うことが正しいわけですからね。彼女の意見は尊重してます。

About Author

大西 愛子

1953年、東京生まれ。フランス語翻訳・通訳。父親の仕事の都合でフランス及びフランス語圏で育つ。主な訳書にステファヌ・マルシャン『高級ブランド戦争 ヴィトンとグッチの華麗なる戦い』(駿台曜曜社)、カナレス&ガルニド「ブラックサッド」シリーズ(早川書房/飛鳥新社)、エマニュエル・ギベール、ディディエ・ルフェーヴル、フレデリック・ルメルシエ『フォトグラフ』(小学館集英社プロダクション)、エマニュエル・ルパージュ『チェルノブイリの春』(明石書店)など。

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