チェコのマンガ家ヴァーツラフ・シュライフ絵画展「東京で解き放たれて」まもなく開催

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海外マンガに親しむ人は、どのくらいいるだろうか。タンタンやスヌーピー、ガーフィールド、メビウス作品の壮大な世界、マーベルの有名なヒーロー達。海外マンガは、カラーで顔つきや身体の描写もリアリティーに溢れている。そこが良いと言う人もいるだろう。慣れ親しんだ日本のマンガの可愛さとの違いに戸惑う人もいるかもしれない。しかし、その海外マンガの殆どは、西洋、西側のものだ。それもそのはず。多くの東欧諸国では、冷戦中、マンガはアメリカを象徴する「堕落した文化」の一つとして共産党独裁政権から圧力がかけられ、大衆文化として花開くことはなかったのだから。チェコでマンガの産声が上がり始めたのは、1989年に共産党独裁政権が崩壊し、様々なごたごたを必死に乗り越えた頃。2000年前後だ。今、日本に紹介され始めたチェコ・コミックは、まさにその世代のマンガ家の作品にあたる。一般的な「マンガ」の概念にとらわれない自由な発想の基に、マンガ家個人のスタイルが強く打ち出されたものが多い。彼らは、長い間途絶えてしまったコミック文化を一から作り始めた原動力を持ち、「表現の自由」をストイックなまでに追求していく迫力を持ち合わせている。

チェコのコミック作家のヴァーツラフ・シュライフ(Václav Šlajch 、1980年)はマンガ家としてデビューすると、瞬く間にイールジー・グルス(Jiří Grus)、トイボックス(Toybox)、ヴォイチェフ・マシェク(Vojtěch Mašek)といったチェコ・コミックのヌーヴェルヴァーグの主要メンバーの一員として迎え入れられた。これらの作家作品を、2017年の秋から2018年初頭にかけて明治大学米沢嘉博図書館で開催された「~日本におけるチェコ文化年2017~チェコ・コミックの100年展」や、チェコセンターの「チェコ・コミックの100年~歴史の中のコミック・コミックの中の歴史」展で目にされた方もいるだろう。現在、シュライフは活動をマンガに限ることなく、本の挿絵画家や様々な映画の美術サポーターとしても活躍し、西ボヘミア・ラディスラフストナー・デザイン・アート大学で教鞭も執る。チェコ政府の海外プロフェッショナル・リサーチ・プログラムにより、2018年の3月から9月までの半年間を日本の武蔵野美術大学で過ごしたシュライフは、日本をどう感じたのだろう。日本での活動を終え、帰国直前のシュライフに、日本での体験やマンガへの姿勢を語ってもらった。

ヴァーツラフ・シュライフ(Václav Šlajch)

武蔵野美術大学での御自身の個展を 「東京で解き放たれて-UNLEASHED IN TOKYO-」と題されましたが、どういうことでしょうか。

私にとって、油絵は「完全なる自由」なんです。絵本や雑誌の挿入画やマンガを描く時、読み手だけでなく、どうしても出版社の社長や編集者が出す合格サインの基準を意識します。そう言った意味では、明治大学 米沢嘉博記念図書館で開催された「~日本におけるチェコ文化年2017~チェコ・コミックの100年」展の監修者の一人だったトマーシュ・プロクーペック氏は稀有な存在です。パーレニーチェクさんは、この展覧会の企画と監修協力をされたので、プロクーペック氏をご存知ですよね。私と彼とは長い付き合いで、彼が編集するマンガ雑誌『Aargh !』に描かせていただくことがあります。まず、雑誌の質が非常に高い。それに、プロクーペック氏は視野がとても広く、編集者の感覚を押し付けてこないんです。長い間プロとして活動していると、無意識のうちに他人の「目」を感じます。何も言われてないのだけれども、無意識のうちにその方針に沿ってしまう。「駄目だと言われたら、また、やり直さなくちゃいけない。我を通そうと思っても仕事が増えるだけだ。相手が欲しいものを出さなければ、どんなに表紙画を描いても突っ返され続けるだろう。最終的に企画自体に嫌気が差すかもしれない」と、恐れています。半分は意識的に。でも、もう半分は無意識にやってしまう。周りに認められるものを描くように頑張ってしまう。しかし、それは危険です。私も「社会はこういうものだ」で、済ませたくない。日本に来て油絵を描こうと思ったのには、この社会的概念を自分の中から追い払いたかったこともあります。私は、今まで油絵をやってこなかった。だからかな。日本で絵を描こうとキャンバスに向き合った時、鎖から解き放たれた獣はこんな気持ちなんじゃないかと思うくらい、「自分のしたいことを何でも、いつでもできる」と、感じました。周囲の視線を断ち切るというのでしょうか。この個展の作品は、作品自ら生まれてきたと言っても過言ではありません。魂の中に水の管が通っていて、その中を感情や情報が駆け抜けてキャンバスに流れ落ちて行くかのようでした。「東京で解き放たれて-UNLEASHED IN TOKYO-」と題したのは、そういうことです。

武蔵野美術大学で2018年9月に行われた「東京で解き放たれて-UNLEASHED IN TOKYO-」展のポスター。
同じ展覧会が2019年2月8日(金)からチェコセンター東京で行われる。

作品には、シュライフさんの東京滞在で体験されたことが表現されているのでしょうか。もし、そうであれば、どのようなものでしょうか。

東京での体験は作品に強く出ています。抽象性、もしくは半抽象性のものばかりですが、それらはみな、個人的な体験から感じたことです。この4枚の絵は、日本の伝統的なお面や昔話に現れる「化け狐」からインスピレーションを得ました。人に化ける瞬間の狐の姿を留めようとしたのです。他のものに姿を変える。それは遊ぶためでもあり、悪巧みからでもあります。狐に囚われず、そういった生き物として見つめてみました。そして、もう一つ。これは、日本語を話せない故に感じた文化の壁です。日本で日本語が話せないとき、私のような外国人は相手のジェスチャーや表情を読み取ろうとします。しかし、その非言語的コミュニケーションツールまでもが全く違う。そういった、捉えどころのない感覚です。私が描いた狐は魔性で魅了してやまないのに、手に入れることもできない。そんな動物です。

「東京で解き放たれて-Unleashed in Tokyo-」展出品作品

作品の中の2枚は、招き猫からインスピレーションを得たように見える作品もありますね。

これは、まさしく先程の文化の壁の良い例です。日本では、この小さい猫たちはお客を招き寄せ、レストランやお店の軒先で店主に代わって客に挨拶してくれる存在だと聞きました。けれども、それを知らなければ、私を含めたほとんどの欧米諸国の人々には訳が分からない。東京に着いてからのしばらくの間、ただ、顔を洗っている猫としてしか目に映りませんでした。毛づくろいをして身体を清めている。それに、招き猫って殆どが陶器で作られているから、キラッと輝いて見えるでしょう。この絵の猫は、そういう意味で「清潔さ」を象徴しています。ですが、私の猫は、観る人に少しの嫌悪感を抱かせるように描いてあります。これ、可愛いでしょう。日本の猫みたいに「KAWAII」でしょう。けれど、彼らの顔を見ると、少し、変なところがあるんです。日常って、こんなものじゃないでしょうか。傍から見ると、清潔で、何事も上手く行っていて光り輝いて見える。この招き猫みたいに。でも、近くで見ると、そうでもない。まあまあということもあれば、中身が腐りきっているかもしれない。それが良いとか悪いとかではなくて、そのままで愛おしいんです。まあ、腐りきっていたら、何とかしなくちゃいけないけど。

招き猫からインスピレーションを得た作品

シュライフさんは2018年3月から9月にかけての半年間、武蔵野美術大学に滞在されたわけですが、日本の美術教育はチェコと比べてどうでしたか。

驚いたことが二つあります。まず、入学式で先生方がおっしゃったことです。「いいですか。何でも好きなことをしなさい。我々が言うことに注意を払ってはいけませんよ。あなた方の仲間が言うことに耳を傾けなさい。なぜなら我々は、もう、年老いています。今、あなた方が何をしたいのか、何をしているのか、よく分らないのですから」というような主旨だったと思います。チェコでこんなことを言ったらどうなります。初めての生徒との顔合わせでですよ。ちょっと教授としての権威が落ちるでしょうね。おっしゃったことは素晴らしいと思います。けれどもチェコでは危険な発言です。

そして、もう一つ。チェコで教えている私の学校では、これはこの学校だけのことでなく、殆どのチェコの学校でも同じだと思いますが、講師は自分の生徒のグループの中心にいます。そして、生徒は、我が子とまではいかなくても、甥っ子か姪っ子かというほど面倒を良く見ます。彼らと連絡を密に取るし、生徒は講師の生活の一部と言っても過言ではない。私はプルゼンの学校で、日本でも紹介され始めたレナータ・フチーコヴァー(Renáta Fučíková)とイラストレーション科を担当していますが、学生は家族のようです。生徒とプライベートな話もしますし、学校で指定された時間外でも、生徒から質問があれば何時間でも耳を傾けます。生徒が救いを求めれば、いつでも駆けつける。学生も教師陣を慕い、何かあれば協力します。けれども、武蔵野美術大学は違います。講師と生徒との距離が離れているように感じました。チェコでは教授と学生とで飲みに行くこともよくあります。武蔵野美術大学では、年に1、2回ではないでしょうか。大学の域を超えた強いつながりがあるのかもしれませんが、よく分りませんでした。その距離感の違いに戸惑いました。教育概念もそうです。私の印象としては、武蔵美では月に一度ほど教授が学生の製作場所に来ます。そして、学生一人一人と二言三言交わして終わりです。入学式の言葉にあったように、学生のアートスタイルに影響を与えないようにしているのかもしれません。チェコでは教師は教える人なのだから、自分の持っている知識はできるだけ伝えなければならない。学生は世に出てからも、どの教授の生徒であったかと胸を張り、誇りに思い続けます。武蔵美では個人と講師のつながりもあるのでしょうが、教育は集団として受けるものでした。学生の多さもあるでしょう。私の学生は60人ほどですが、武蔵美には3棟もの大きな校舎があって、各階に教室が10部屋もあります。学生数は600人程になるでしょうか。次元が違います。講師もそれなりの数はいると思いますが、チェコの大学で親しんだ「○○教授チーム」ような感覚はありませんでしたね。そうした違いは、とても興味深いものでした。

(翻訳:髙松美織)


ヴァーツラフ・シュライフが日本で制作した油絵の個展、「東京で解き放たれて」は、2019年2月8日(金)から3月15日(金)にかけてチェコセンター東京にて開催。2月8日(金)19時からの開会式にともない、シュライフ本人も再来日し、自ら作品解説をする予定。詳細は以下のサイトからご確認ください。

ヴァーツラフ・シュライフ絵画展「東京で解き放たれて」


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ジャン・ガスパール・ パーレニーチェク

Jean-Gaspard Páleníček。1978年プラハ生まれ。詩人、キュレーター。元チェコセンター・パリ・プログラムディレクター(2004~2017年)。音楽家ミロス・ボック(Miloš Bok)に師事し、その音楽の日本での紹介に尽力している(カメラータ・トウキョウからCD『クレド』が発売中)。フランス語とチェコ語で創作を行い、詩、散文、戯曲、音楽などさまざまな作品を発表。2017年に明治大学 米沢嘉博記念図書館で行われた「~日本におけるチェコ文化年2017~チェコ・コミックの100年展」のコーディネーターを務めた。

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