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“バンド・デシネ”をご存じだろうか? フランス語圏のマンガのことで、日本でもかなり前からポツポツと翻訳・紹介されていたが、ここ10年くらいで一気に翻訳が増え、今なおさまざまな作品が翻訳出版され続けている。
バンド・デシネとはどんなものか、まずは写真でご紹介しよう。ここで紹介するのは邦訳版ではなく、フランス語版の原書である。
典型的なバンド・デシネを2つ並べてみた。左はA4版より少し小さく、右はA4版より少し大きい。この2つの判型がバンド・デシネの大半を占めていて、クラシックなバンド・デシネなどと言われたりする。ちなみに左の小さな判型のほうがよりクラシックな印象がある。ご覧の通りジャケットなしのハードカバーで、中面はオールカラーであることも多く(もちろん白黒もある)、ページ数は48ページか64ページが多い。外から見る限りでは絵本や画集のように見える。
参考までに日本のマンガでよく見られる判型と比べてみる。
左は少年マンガや少女マンガでよく見る新書版、右は青年マンガに多いB6版。比べてみると、バンド・デシネは日本のマンガよりずっと大きな判型だということがよくわかる。
もっともこれはあくまで基本フォーマットのお話。日本のマンガにも新書版、B6版以外のさまざまな判型があるように、バンド・デシネにもさまざまな判型がある。横長のもの、正方形のもの、A5版相当のもの、日本の新書版や文庫版に近いもの。全体的に見てみると、日本のマンガより判型にバラつきがある。ページ数も基本は48ページ、64ページだが、20数ページのものから、500ページを超えるものまでいろいろだ。1巻完結のものもあれば、数十巻に及ぶシリーズものもある。
では、中面はどうだろう? 試しに何冊かのバンド・デシネを開いてみる。
日本のマンガはご存じのように白黒が多く(もちろん巻頭カラーもあれば、オールカラーのマンガもあるが…)、それに慣れた目からすると、やはりカラーの使用が目を引く。ツルツルしたアート紙に印刷されていることが多く、高級感がある。絵のスタイルも独特だ。
とりわけその絵に対するこだわりから、バンド・デシネは“アート”だと言われることも多い。上の写真の中にも思わず“アート”と形容したくなる作品があることだろう。フランス語では“バンド・デシネ”のことを“第9の芸術(le neuvième art)”と呼ぶこともあるが、それもわからなくはない。
もちろんすべてのバンド・デシネが高尚なアートというわけではない。大衆的なエンタメや日常を描いたエッセイ、子供向け作品、ギャグ、エロ……。ため息が出そうな作品がある一方で、くだらない作品だって山ほどある。
結局のところ、バンド・デシネとはフランス語圏のマンガ以外の何ものでもない。だが、同じ“マンガ”でも、バンド・デシネと日本のマンガのあいだにはさまざまな違いが存在している。判型の大きさ、本の開き、絵のスタイル、言葉の使い方、コマの割り方、物語の進め方、ジャンル、刊行ペース、値段、作家のあり方、社会的な認知度……。日本のマンガと違っているからとっつきにくい印象があるかもしれないが、慣れてしまえばこっちのもの。日本のマンガとの違いがおもしろさに直結している作品だって多く存在している。
日本のマンガと違っているからこそ、バンド・デシネはこれまで何人もの日本のマンガ家たちに刺激を与えてきた。例えば、大友克洋や谷口ジロー、江口寿史、浦沢直樹、松本大洋などといったマンガ家たちが、バンド・デシネにインスパイアされたことを公言している。日本に限らず世界中の作家たちに刺激を与えたのは、主に1970年代以降、大人向けのSFを好んで描いたメビウスやフィリップ・ドリュイエ、エンキ・ビラルといったバンド・デシネ作家たちだった。バンド・デシネというと、未だに彼らの名前がまっさきにあがることもあり、その影響力の大きさがうかがわれる。だが、当然ながら、彼らの作品だけがバンド・デシネなわけではない。その後もさまざまな作家がさまざまな作品を生み出している。かつてバンド・デシネが日本のマンガに影響を与えたように、今では日本のマンガに影響を受けたバンド・デシネも登場してきている。
日本のマンガとは必ずしも同じではないこのフランス語圏のマンガ=バンド・デシネの中に、もしかしたら日本のマンガ以上にあなたの気に入る作品があるかもしれない。これから何回かにわけて、もう少し詳しくバンド・デシネの世界に分け入ってみることにしよう。