19世紀に「マンガ」は存在したのか?―『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点』森田直子(萌書房、2019年)

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本書は19世紀半ばに「版画物語」と作家自身によって名づけられた滑稽な絵物語を多数発表したスイスの教師、画家、作家、評論家、ロドルフ・テプフェールの先駆的な先品群を「ストーリー漫画」の先駆として位置づけ、それが同時代のヨーロッパ文化の多面的な重なり合いに連なるものであることを多面的に論じようとした大変な労作である。

テプフェールという作家とその作品を焦点として、当時の美術、文学、演劇、地政学的な政治、文化状況、出版、表現上の技術的な問題といった広範な領域にリファレンスを張り巡らし、飽くまで実際の作品に即してその意味や意義を語ろうとするスタンスは学術的にきわめて誠実なものであり、まずこの点に関して敬意を表したい。

森田直子『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点』(萌書房、2019年)

特に演劇との関係からテプフェールの「顔」の描写が観相学を経由して「典型人物(types)」に結びついているとの指摘やその線の質や動きの描写に関する分析、本(書籍)という形態や転写石版という新しい技法が持つ意味に関する議論などは、キャラクター論、表現論、メディア論といった現代のマンガに関するさまざまな批評、研究においても参照可能な豊かな示唆に満ちている。

ただ、いっぽうで本書の論述にはある種の「無理」も感じざるを得ない。

たとえば本書の題名に掲げられている「ストーリー漫画の父」という言葉は参考文献にも挙げられているデヴィッド・クンズルの著作『Father of the Comic Strip: Rodolphe Töpffer』(University Press of Mississippi、2007)に倣ったものだろうが、じつはこの記述は大きな問題を含んでいる。

David Kunzle, Father of the Comic Strip: Rodolphe Töpffer, University Press of Mississippi, 2007

英語のComic Stripにしろ仏語のBande DessinéeにしろStrip、Bandeという布きれ、帯を意味する「コマが並べられたさま」を形容する要素を含んでおり、日本語に直訳すれば「コマ割りマンガ」とでも訳すべき表現形式自体を説明する含意のある言葉だ。

これに対して日本語の「ストーリー漫画(まんが/マンガ)」は日本語の意味としてはそのような含意を持っておらず、語意としてはただ「物語のある漫画(まんが/マンガ)」を指示しているに過ぎない。

そして、本文中で森田自身「カートゥーンとしての「漫画」」と書いているように「漫画(まんが/マンガ)」という用語は必ずしも「コマが割られたもの」を指すものではないのだ。

つまり、本書がテーマとする「画面を分割した絵と文字による物語表現形式」を意味するComic StripやBande Dessinéeという英語、仏語に対しては、テプフェールを父(Father)や発明者(Inventeur)とする表現がある程度妥当するとしても、それと同様な関係を日本語の「ストーリー漫画(まんが/マンガ)」という用語に結びつけることはできない。

テプフェールの 「画面を分割した絵と文字による物語表現形式」。Rodolphe Töpffer, Les histoires en estampes, Tome 1 : Monsieur Jabot. Monsieur Vieux Bois : Deux histoires d’amour, Seuil, 1996より。ちなみにここに掲載した『ジャボ氏の物語(Monsieur Jabot )』は、『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点』に付録として訳出されている

豊富かつ多分野に渡る英仏の研究を参照している本書の記述がところどころ混乱し、わかりづらく思えるのは、こうしたレベルでの現在の日本のマンガ、日本国内の出版文化を勘案した概念規定や解説が論じられるトピックに対して必ずしもなされていなかったり不足していたりするためではないかと思われる。

しかし、こうした本書がはらむ問題点は著者である森田の責任というよりも、既存のマンガ研究、批評の側で、日本における「マンガ(漫画/まんが)」概念の形成史を根本的なレベルで問うて来なかった点に求められるべきかもしれないとも思う。

その意味では、本書のような比較文化論の専門研究者が欧米の最新研究をもとに発表した「コマ割りマンガ」の形式的な起源を学術的に検討した著作を、国内の若いマンガ関連分野の批評家、研究者が今後どう咀嚼し、活用していくかという点にこそ個人的には大きな興味と期待を持っている。

本書ではほとんど触れられていないが、ロドルフ・テプフェールという作家自体は90年代以前も日本に紹介されてこなかったわけではない。

ただ、それは児童文学や絵本という文脈に限定され、マンガとの関連はほとんど意識されなかった。

19世紀のひとであるテプフェールの作品が「マンガ」であるかということよりも、なぜ欧米で「Father of Comic Strip」として発見された彼が日本の「マンガ」においては無視されてきたのか? 本書を経て私たちはそうした視点で「マンガ」を見直すべきではないだろうか。

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『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点』
『Father of the Comic Strip: Rodolphe Töpffer』

About Author

小田切 博

フリーライター、アメリカンコミックス研究。著書『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』(NTT出版)、『キャラクターとは何か』(筑摩書房)、共編著『アメリカンコミックス最前線』(小野耕世との共編、大日本印刷)。

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