海外マンガ翻訳の過去、現在、そして未来

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1.スパイダーマンは日本でも活躍していた

昨年(2019年)の10月、マーベル・コミックスの日本でのエージェントの仕事をしている女性から連絡があり、「スパイダーマン」の日本での最初の紹介・翻訳者である私に取材したいという(Marvelの日本語表記はマーヴルとしたほうが英語の発音に近いのだが、いまではアメリカ側も日本語では〈マーベル〉と表記しているので、それに従うことにする)。

スタン・リー&スティーブ・ディッコ『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』(小野耕世訳、ヴィレッジブックス、2017年)。スパイダーマンの日本最初の翻訳者である小野さんが初期のスパイダーマンを訳した近年の翻訳

当日、指定された東京・神田にある撮影スタジオに出向くと、すぐにビデオ・カメラの前にすわった私へのインタビューが始まった。LAのマーベル社から派遣された男の質問は、1978年から79年にかけて日本の東映で製作され、毎週水曜日、その年の5月から翌79年3月まで日本でテレビ放送された「スパイダーマン」のテレビ・シリーズに関するものだった。

マーベルの「スパイダーマン」コミックスの生みの親であるスタン・リーは、この東映版を見て「良くできている」と感心していたことは、私は当時スタン自身からきいて知っていた。

その内容は、アメリカのコミックブック版「スパイダーマン」とはまったく別の設定だった。ここでは東京に住むスパイダーマンが、宇宙からの侵略者たちと戦うはなしなのだ。

東京の都心でのロケ撮影は費用がかかるので、東映版テレビ番組の舞台は、郊外の森林地帯や山が中心となった。スパイディは高層ビルをよじ登ったり、クモの糸でビルのあいだをスウィングするかわりに、山のなかで敵と戦うスーパーヒーローの物語と変えられていた。日本独自のスパイダーマンの活躍である。

10月の私への取材のとき、この東映版の第1話のビデオを改めて見せてもらったのだが、すぐに私は夢中になってしまった。改めてなつかしさがこみあげてきた。そして、当時のことを思い出していた……。

2.日本の「将軍戦士」はアメリカで活躍

1975年ごろ、私はニューヨークのマーベル本社を訪ねていた。テレビ番組ではなく、マーベルは日本の人気マンガのキャラクターを用いて、新しいコミックブックを創刊しようとしていた。そのなかには(東宝と契約した)「怪獣王ゴジラ」と(東映と組んだ)「将軍戦士」(Shogun Warriors)のシリーズがあった。

「将軍戦士」のなかには、日本人も登場する。担当のライター(脚本家)が、このコミックブックの編集責任者であるジム・シューター氏と相談しているとき、私はその現場にいた。

「その日本人の名をどうしましょうか」。彼がいうと、ジムは、そばにいる私のほうを見て「コーセイ・オノとでもしておけば、いいんじゃないか」と答えた。

これは当然、冗談だと思っていた私は、帰国してから送られてきた「将軍戦士」のコミックブックを見てびっくりした。そのなかに、日本女性の科学者をエスコートするコーセイ・オノという男性が出てくるではないか。

Kosei Ono(コーセイ・オノ)が初登場した『Shogun Warriors』#7(1979年)

この件については、1984年ごろに出した私の著書「マンガがバイブル」(新潮社)のなかで、一章をさいて記してある。そんないきさつがあったので、日本で昨年10月にマーベルからの取材を受けたときに、そうした話を私からききたいのでは―と思い、「将軍戦士」のコミックブックのなかに私の名前が出てくる号を持っていって彼らに見せた。

3.アメリカでは「スパイダーマン」登場から60年

もちろん彼らはそれに興味を示したが、あくまでも今回の取材は、東映版「スパイダーマン」シリーズが中心テーマであった。マーベルではこの東映版をすべて収録した豪華なボックス版を、いずれ日本で発売したいので、私へのインタビューはそのためなのだった。

「日本の東映版スパイダーマンでは、スパイダーマンは、そのコスチュームも活躍の舞台も、アメリカ版とはずいぶん違いますが、スパイダーマンの勇気とユーモア、その明るい性格はいかにもスパイダーマンらしいし、その彼が日本と、そして地球の危機を救う―という設定は、すばらしい。私の好きなスパイディそのままのキャラクターが生きていて、嬉しかったです」と私が話すと、インタビュアーは笑顔になった。彼は、私のそうした感想をききたかったのである。

思えば、アメリカでのスパイダーマンのコミックブックが最初に登場したのは、1962年なのだから、2020年の今年あたりで、もうすぐ60周年になる。

4.日本版「スパイダーマン」の40年―その始まり

いっぽう、私が最初に翻訳した日本の光文社版「スパイダーマン」の第1巻は1978年5月の発売だったから、ほぼ40年前のことになる。昨年10月のマーベル側からの私への取材は「東映版スパイダーマン」に関するものだったが、同時にスパイダーマン・コミックスの日本で最初の翻訳者である私に興味を持ったのだろう。取材を終了したあとも、彼は40年前の私の翻訳に関しての話もききたがった。

『スパイダーマン1』(小野耕世訳、光文社、1978年)

「40年前の日本では、アメリカのコミックスを含め、そもそも海外マンガの日本版なんて、まず無かったと言っていいほどでしたから、翻訳には、ずいぶん気を配りました」と私。

「スパイダーマン・コミックスのアメリカでの読者層は、子どもから高校・大学生などが中心でしたので、日本版も主に少年(少女も含む)読者向けに、読みやすさをこころがけました。つまり、彼らにこれは外国マンガだという違和感がないように、これは海外マンガの翻訳だと身がまえさせずに親しんでもらうことに、なによりも気を配ったのです」。

日本版は小さな新書版だから、文字の吹きだしも従って小さくなり、訳文は省略せざるを得ない。

しかし、なによりも重要なのは、たとえ訳文は省略しても、登場するヒーローや悪役たちの性格、そのキャラクターをきちんと伝えることだと私は確信していた。

ヒーローたちは私の内面に長年にわたって住みついてきているのだから。すでに私の分身のようになっていて、私は彼らの気持を、ただ代弁すればいい。私の内部から吹きでる彼らの想念を、ただそのまま記せばいいのだ。

5.日本版「スパイダーマン」の読者たち

このときの光文社版で「スパイダーマン」を8冊訳し、さらに「マイティ・ソー」や「ファンタスティック・フォー」、「キャプテン・アメリカ」なども数冊、すべて私が訳していた(ところで、私はこのうちの7冊しか持っていない。第8巻を余分にお持ちかごぞんじのかあがおいでなら、ぜひ私におゆずりくだされば、感謝します。買いますので)。

『スパイダーマン2』と『キャプテンアメリカ1』の発売を伝える当時の広告

そしていまだに、この新書版光文社マーベル・コミックスの読者から、声をかけられることがあって、私は驚いてしまう。光文社版には読者からの投書を載せるページが巻末にあって、投書者のなかから後にマンガ家になった人たちもいる。何年か前、ある大学の一年生から連絡があり、レポートを書くので私に取材したいという。会ってみると、光文社版の「スパイダーマン」や「ファンタスティック・フォー」などを持っていて「とても楽しくて夢中になりました。最近の海外マンガの翻訳よりずっと読みやすく、感情移入できました」と言う。それにしても、よくむかしの光文社版が入手できたなと感心した。訳が古い…などと感じずに、私の旧訳を、新世代の人たちが楽しんでくれたのである。

そういえば、この光文社版が出た40年近く前、最初のファンレターを送ってくれたのは、若い女性だった。「わたしはスパイダーマンの恋人のグウェンみたいな美人ではありませんが、ほんとうに楽しんでいます」とあった。光文社版には女性のファンも多かったのである。

6.誤訳だって、もちろんあるさ

もちろん、翻訳上のいくつかのミスもある。訳を急いだので、地名や人名など固有名詞の発音表記上のまちがいもあった。また、「Xメン」の指導者であるエグザビア教授をザビエル教授としたが、これはたった一文字減らすために、日本史上有名なフランシスコ・ザビエルの名を用いたのである。

そして、当時、私の翻訳に目を通してくれていたマーベルの日本在住のアメリカ人は「人名の発音はいろいろあるから、あまり気にしないでいいよ」と言ってくれた。

7.海外マンガの翻訳は、花ざかり

私が最初に光文社版スパイダーマンなどを訳してから40年以上すぎたいま、日本における海外マンガの翻訳は、いま絶頂期をむかえているのではないか。

いまでは、アメリカのマンガはもちろん、いや、むしろヨーロッパのコミックスの翻訳のほうがさかんといっていいほど、マンガの翻訳は多様化している。もちろんそれは、コミックス(マンガと呼ぼうとグラフィック・ノヴェルと呼ぼうがお好きなように)というものが、老若男女の別なく広く世界じゅうで親しまれている時代になったことを示していよう。マンガは子どもだけの読みものなどという時代は、とっくに終わってしまった。いまやマンガも、文学作品と同じように、日本の大新聞の書評欄でとりあげられているのだから。

すばらしいではないか。

8.ピカリ・アイデア!

私は8歳ぐらいの小学生だった1947年ごろ、父が買ってきてくれたアメリカのコミックブックを、毎日、夢中になって読んでいた。いや、(英語などろくに知らないのだから)見ていたと言うべきか。全ページが四色刷りのアメリカのコミックブックは、見ているだけで楽しかったのである。当時、東京じゅうの古本屋にあふれていたコミックブックは、1冊十円程度で売られていたのである。

それを見ていた私が、とてもおもしろいと感じた〈表現〉があった。

だれかがなにかを思いつくと、そのひとの頭のうえに電球がぴかっと光る画面が描かれ、そばにIDEA!(アイデア)ということばが記されていた! だから、たぶん、IDEA!は、私が最初に覚えた英語だったのではないか。私はこの表現法を、〈ピカリ!アイデア法〉と勝手に名づけた。

こうした楽しいマンガならではの表現は、アメリカだけでなく、日本も含めて世界各国のマンガのなかにあるにちがいない。こうしたマンガ的な表現の遊びに親しむのはとても楽しく、それは私の視野をひろげてくれるのである。

9.ジェフ・スミス「ボーン」の翻訳で迷う

1998年の初めだったと思うのだが、東京の手塚プロダクションが催した国際マンガ交流会に、アメリカのマンガ家たちが招かれた。この楽しく意義深い会合には、オハイオ州に住むマンガ家のジェフ・スミスとヴィジャヤ・アイアーの夫婦がおいでだった。

このすてきな会に顔を出した私は、ジェフ・スミス氏が見せてくれた「ボーン」というファンタジー・コミックスが、すっかり気にいってしまった。

ぜひ日本に紹介したいと思った私は、晶文社に話を持ちかけた。晶文社は、アート・スピーゲルマンによる世界マンガ史上画期的といっていいコミックス「マウス」を、私の翻訳で出してもらった出版社である。そして、「ボーン」の最初の3巻(全9巻で完結)を、私が訳して刊行されたのだが、売れ行きが思ったほどではなく、最初の三冊だけで中断してしまったのは、いまでも残念に思う。

ジェフ・スミス『ボーン1』(小野耕世訳、晶文社、1998年)

「ボーン」に注目したのは、この物語が私たちの住む世界とはまったく別の法則で存在する異世界を舞台にしていることと、このマンガが作者自身の出版社から刊行されていることに、私が感動したからだった。

「ボーン」の物語は、7歳の子どもから70歳の知的読者層までが、男女の別なく楽しめる内容になっている。ふしぎなボーン三人組を中心に進む物語と上品なユーモア……。

いろいろ考えて、私はこのマンガを、広く日本の読者層に楽しみやすく、読めるように訳すことにした。「ボーン」のアメリカ側のエージェントから、私の翻訳を見たい、と言ってきたので、もちろん晶文社を通じて、私の訳した部分を先方のエージェントに送った。私の翻訳をチェックしたかったのだろう。

その翻訳のなかで、登場人物のセリフのひとつに私がちょっと迷った部分があった。その結果、原文にそって、日本語としてはやや固くるしい訳文になってしまった。

やがて、アメリカ側のエージェントから返事が来て、「訳文に問題はない。ただ一か所、もっと日本語的にしてしまってかまわないところを、原文に忠実にしようとして読みにくくなっている」と指摘してあった。私は笑ってしまった。原文のセリフの味を生かそうと、ちょっと不本意ながら、原文にあえて忠実に訳したところだったからである。さすがはエージェントだ。私の迷いに気づいたのか―と感心し、アメリカ側のエージェントは、私の予想以上に、日本語に詳しいのだと感動した。

という次第で、「ボーン」の翻訳には、一か所だけ私が迷ったところがある。それについて、ややぎこちなくても原文どおりに訳すべきだったという意見が、もしあったとすれば、幸いアメリカ側が日本語的な私の訳のほうがいいと言ってくれたので、そのようにしたのだと答えるほかない……。

「ボーン」は、残念ながら日本版は最初の3巻までしか出せなかったが、いまでもあの続きが読みたかった―という「ボーン」のファンに会うことがある。その多くは女性である。ここでは詳しく触れないが、「ボーン」に登場するボーン族の3人のキャラクターたちが愛らしく、彼らの性格の違いがドラマを盛りあげているし、ストーリーには非常な深み(哲学的といってもいい)がある。アメリカでは、全ページ・フルカラー彩色の本も、後に出ているし、全1冊版も出ている。

10.アート・スピーゲルマンの「マウス」全一冊決定版が刊行される

ところで、私がこれまで翻訳してきたアメリカン・コミックスのなかで、最も重要な作品は、言うまでもなくアート・スピーゲルマンがアウシュヴィッツを生きのびた自分の父親のことを描いた「マウス」全2巻であろう。

私はスピーゲルマン夫妻が初めて来日したときに会ってすぐに親しくなり、私の家にも招いたのだが、「マウス」は私の本をこれまで何冊も出してくれていた晶文社から、すぐに翻訳刊行することができた。

アート・スピーゲルマン『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、晶文社、1991年)と『マウスII―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、晶文社、1994年)

その後、アメリカではスピーゲルマンが手をいれた全一冊決定版も出版されたのだが、諸般の事情で晶文社版は絶版となり、残念ながら日本版の出るめどがつかなくなっていた。

アメリカでは、ある大手出版社が出した本を、別の(大手の)出版社が改めて出す―ということは珍しくない。しかし日本では、慣例的に、それが難しいようだ。そして、私が改訳したこの決定版は、パンローリングという私も知らなかった出版社が、ぜひ出したいと言ってきた。アメリカ側の対応も良く、パンローリング社の誠実な仕事ぶりに私も感銘を受けた。

なにしろ、晶文社の「マウスⅠ」と「マウスⅡ」が、絶版状態だったので、古書値も高くなっており、長いあいだ入手困難になっており、私も困っていたところだった。そして、この「マウス」全一冊決定版の日本版は、5月の中旬には出ることになったので、まだ日本語版をお読みでなかったかたは、この機会にぜひ手にしていただきたい―と、お願いしたい。

アート・スピーゲルマン『完全版 マウス――アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、パンローリング、2020年5月中旬発売予定)

実のところ、図書館から晶文社版が盗まれた―などという話をきいて、頭を悩ませていたところなのだ。

いま、私のところにも、晶文社版の「マウスⅠ」と「マウスⅡ」は、これまでに人にあげてしまい、自分の本が1冊ずつ残っているだけなのである。この私のコラムの読者のかたには、どうかきれいな造本のパンローリング刊の「マウス」全一冊版に親しんでほしい。

なにしろスピーゲルマン氏は、この日本語版の吹き出し文字のフォント(書体)にも気を配ってチェックされたのである。全一冊決定版は、いまではイギリスのペンギン・ブックスにもはいっているし、日本よりずっと早く韓国語版も出されているのであるから……。

About Author

小野 耕世

1939年生まれ。評論家、翻訳家。1960年代末以降、現在にいたるまで海外マンガを精力的に翻訳・紹介し続けている。主な著書に『バットマンになりたい―小野耕世のコミックス世界』(晶文社)、『長編マンガの先駆者たち―田河水泡から手塚治虫まで』(岩波書店)、主な訳書にロバート・クラム『フリッツ・ザ・キャット コンプリート』(復刊ドットコム)、パコ・ロカ『家』(高木奈々との共訳、小学館集英社プロダクション)などがある。

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