21世紀の文学サロン?: ブランダイス大学・小説シンポジウム

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マサチューセッツ州のボストンから西へ車で30分ほど行ったところに、ブランダイス大学という名門私立大学があります。都会の喧騒から少し離れたウォルサムという郊外の町に佇むこの大学で、2019年4月12日に「ブランダイス大学・小説シンポジウム」(Brandeis Novel Symposium)という学術イベントが開催されました。

このシンポジウムはその名のとおり「小説(ノベル)」を中心として議論されるシンポジウムですが、今回はグラフィック・ノベルがテーマとのこと。通常の学会やシンポジウムと異なり、単に学者の発表や講義を聞くだけなく、参加者同士がディスカッションを通して学ぶワークショップ形式になっていました。今回はその様子をレポートしたいと思います。

ブランダイス大学・小説シンポジウムのポスター

事前に受け取ったシンポジウムの案内には、予め読んでおくべき「課題図書」が4つ記されていました。邦訳がでているアリソン・ベクダル『ファン・ホーム』とソニー・リウ (Sonny Liew) の傑作『チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術』(The Art of Charlie Chan Hock Chye)。そして議論を深める基本文献として、スコット・マクラウドの『マンガ学』(Understanding Comics: The Invisible Art, 1993)とヒラリー・チュート(Hilary Chute)の『グラフィック・ウィメン』(Graphic Women: Life Narrative and Contemporary Comics, 2010)からの抜粋です。

ベクダル『ファン・ホーム』
リウ『チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術』
スコット・マクラウドの『マンガ学』(Understanding Comics: The Invisible Art, 1993)
チュート『グラフィック・ウィメン』]

午前中には、マクラウドとベクダルの2つのワークショップがあり、メディア(メディウム)としてのコミックスについて関心がより高そうなマクラウドのセッションに参加しました。会場に入ると、10数名の参加者が円卓を囲んで座っており、セミナー形式のセッションになっていました。ワークショップは、参加者の自己紹介から始まり、大学院生(一部、学部生)や、若い学者、教授らが集っており、遠くはカリフォルニアから来た研究者も同席していました。前半は、ブランダイス大学英文科のジョン・プロッツ(John Plotz)教授がディスカッションを進行。

午前中のワークショップの様子

まず取り上げられたのは、マクラウドの『マンガ学』。1993年の出版以来、多くの研究者や知的な読者をコミックス研究に呼び寄せた影響力のある本ですが、一方で、批判的な検証も多くなされています。ワークショップでも議論・確認された点として、マクラウドが主張しているコミックスの定義では、排除されてしまうもの(例えば、一枚絵のカートゥーンなど)や、彼がパネルの推移(パネルトランジション)を6つにわけたカテゴリーの限界――例えば、実際のコミックスのコマを6つのパターンのどれに当たるかを見きわめようとすると、必ずしも一つのパネル推移のパターンにならない場合がある――などです。ただ、参加者のダニエル・ウォーデン(Daniel Worden)教授は、アート・スピーゲルマンの『MAUS』が1992年にピューリッツアー賞を受賞したばかりで、コミックスという形式がメインストリームにおいてようやく認知されはじめた時期に本書が執筆されており、そうした歴史的・文化的背景のなかで、マクラウドはコミックスを(原題の副題にあるように)「アート」として、そしてメディア(メディウム)として正統化する必要性があったという点を指摘していました。

午前中のワークショップの様子

ワークショップの後半は、シンポジウムの基調講演者でもあるイェール大学教授のケイティ・トランペナー(Katie Trumpener)がディスカッションをリード。クリス・ウェアの『世界一賢い子供、ジミー・コリガン』を取り上げ、コマの連続による時間の空間的な操作や、シンメトリカルなミザン・パージュ(ページ・レイアウト)の分析、背景の色使いとトーン、表情の分析などが行われました。また、 従来のコミックスの伝統やコンベンションに視覚的に言及(インターテクスト)することで、いかにこの作品がアメリカの主流ジャンル(「ファニー・アニマルズ」や「スーパーヒーロー」もの)のパスティーシュになっているかが論じられました。

ウェア『ジミー・コリガン』

他にも、ベン・カッチャーの作品『ジュリアス・クニップル、街を行く』のページをいくつかとりあげ、現在の都市の描写に「過去」のイメージをリサイクルした建築物や都市景観が入り込んでいることから、ディアスポラを経験したユダヤ的な「故郷(過去)」への希求とその不可能性が描かれているのではないかという点が指摘されました。都市を彷徨う主人公ジュリアス・クニップルが、その環境や建築物を観察し、陶酔する姿は、ベンヤミンのいう「都市遊歩者(フラヌール)」の伝統とも重なるのかもしれません。

カッチャー『ジュリアス・クニップル』

午後のセッションはケイティ・トランペナー教授の基調講演で再開。主な内容は3つ。1つ目は、コミックスは「連載形式」で作られることがあるが、そうした生産過程は、物語構造やリズムの反復、コミックス・アーティストとしての(反復)労働などとつながっており、たとえ単行本(出版形式としてのグラフィック・ノベル)として出版されている作品でも、連載形式から生み出された特質を引き続いていること。2つ目は、アート・スピーゲルマンの『マウス』やジョー・サッコ、ソニー・リウなどが、既存の歴史的ナラティブに対してカウンターヒストリーとして機能していることを検証しつつ、個人や家族、コミュニティという視点からの歴史的な記憶や証言のアーカイブとなっていること。3つ目は、現在のグラフィック・ノベルと自然主義的な「スケッチ・ブック」の伝統の共通点についてでした。

基調講演をするトランペナー教授

広いホールに会場を移した午後のセッションは、学会発表形式で進みました。その中から、いくつか興味深い発表をレポートします。

まず、ウェイシン・グイ(Weihsin Gui)教授は、今回の課題図書にもなっているソニー・リウ『チャーリー・チャン・ホック・チャイの芸術』について論じました 。この作品は、原正人氏の書評にもあるように、虚構のコミックス・アーティストである「チャーリー・チャン・ホック・チャイ」の人生を追うことで、シンガポールの込み入った歴史を振り返るものです。グイ教授も指摘していましたが、この作品内でフィリップ・K・ディックのSF作品『高い城の男』が言及されています。ディックの作品は「もしも第二次世界大戦で枢軸国(ドイツ、日本、イタリア)が勝っていたら・・・」という設定のスペキュラティブ・フィクションですが、リウの作品の中でも、別の「ありえたかもしれない歴史」が描かれます。このこのメタ・フィクショナルな構造は、シンガポールの歴史的「現実」を批評的に見る契機を読者に与えるとともに、この作品自体を、つまり虚構のコミックスのアクチュアルな力を正当化するものにもなっている、と言えるでしょう。

アメリカで購入できるシンガポールのコミックスを紹介するグイ教授

大学院生ダニエラ・ガティ(Danielle Gati)氏は、アリソン・ベクダル『ファン・ホーム』における物語的・視覚的パターンを分析。自伝形式のナラティブを持つ『ファン・ホーム』には、まず子供の頃のイノセンスを描き、そして背後にあった(当時は気づかなかった)「リアリティ」が入り込む様子を描き、それをシンボル化・暗喩化するという3段階のパターンがあると指摘していました。

こうしたパターンは視覚的にも表現されており、幼き自分をややシンプルに描きながら、注目すべき背景や舞台装置の細部を描き込む(ゲイである父の関心やオブセッションを描く)一方で、必要に応じて家や背景をインクで塗りつぶすことで隠喩化しています。こうした点に気をつけながら読むと、さらに作品の見方が広がります。

『ファン・ホーム』の分析をするダニエラ・ガティ氏

大学院生ジョン・ナジャリアン(Jon Najarian)氏は、コミックスというメディアがいかに「アート」と交差するかを論考していました。1913年ニューヨークで開催され、アメリカの芸術・文化に衝撃を与えたと言われるフランスを中心とするヨーロッパの前衛芸術展「アーモリー・ショウ」に対してなされた、新聞や雑誌のカートゥーニストの風刺やパロディーを考察していました。「アーモリー・ショウ」で展示された作品は、果たして「芸術(アート)」なのか、という問いを投げかける一方で、その前衛的な抽象性と模倣的(ミメティック)な(または「透明な」)再表象を目指さない点において、戯画化を利用するカートゥーンやコミック・ストリップと重なる部分はたしかにあるでしょう。新聞や雑誌のカートゥーニストが、この歴史的な展示会をパロディックに揶揄したり、批評的にコメントしたりする様子を通して、コミックスと芸術(アート)との境界線を問うものとなっていました。

「アーモリー・ショウ」に応答したコミック・ストリップを議論するジョン・ナジャリアン氏

最後に紹介したいのが、ダニエル・ウォーデン教授の「読むこと、見ること、感じること:正統化を経た後のコミックス」というタイトルの発表です。コミックスが文化的にも、学問的にも、制度的にも認知されるようになった現在の視点から、(あえて)アンダーグラウンド・コミックスを振り返るものです。1960年代のアンダーグラウンド・コミックスは、ロバート・クラムの作品のように、「女性嫌悪的」で「セクシスト」な表現や違法ドラッグの描写などから、常に論争の的になっています。一方で、後の「文学的でシリアスな」オルタナティブ・コミックスに影響を与えただけでなく、そのパラテクストやデザインがサーカスのフライヤーや商業的宣伝のフォントやデザインに使用されるなど、より広い社会的・商業的な領域にさえ広がっていったという内容でした。また、クラムの作品が女性の身体に対する男性の(歪んだ?)欲望を反映しているという批判に対しては、むしろ男性の性的な自律性や権力に対する不安や懸念が表現されており、男根的で抑圧的なものを是認するものではない、と論じていました。

クラムの作品について議論するダニエル・ウォーデン教授

学会の最後には、参加者とオーディエンスが一緒にカウチに座り、対話形式で来年の「小説・シンポジウム」のトピックと選定図書が決められました。参加者のほとんどが世界的に有名な小説からアメリカで最近話題になった小説まで広く読んでおり、その内容に言及しつつ対話がなされたことには驚かされました。その様子はまるで20世紀初期の「文学サロン」のようで、こうした知的な空間が維持され、促進されていることに、このイベントの文化的な力を感じました。大きな学会やシンポジウムで尊大に構えた学者が壇上でレクチャーし、それをありがたがる(フリをする)観客といった、二分化された場に居合わせることがあったので、こうした対話を中心にしたイベントの重要性が一層強く感じられました。

About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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