今、最もアクチュアルな作品『MARCH(マーチ)』シリーズ

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「このシリーズの主題や文脈は、歴史的なレンズを通して見た1964年や1965年についての回想録(メモワール)なんだけど、この作品に取り組んでいるうちに、だんだん今のアメリカ社会についての本になってきたんだ」。こう述べたのは、今回のレビュー作品『MARCH(マーチ)1』のアートを担当したネイト・パウエル。2018年5月4日、ニューヨークにあるギャラリー「ソサイアティ・オブ・イラストレーターズ」で行われたコミックス・シリーズ『MARCH(マーチ)』のアート展示会においてだ。

『MARCH』シリーズは、ジョン・ルイス現下院議員の生い立ちと生涯をたどりながら、黒人公民権運動の歴史を描いたコミックス三部作。2016年の全米図書賞を「児童文学部門(National Book Award for Young People’s Literature)」で受賞し、コミックス(グラフィック・ノベル)が、初めて全米図書賞をとったことで話題となった。すでに日本語版全3巻がすべて岩波書店から出ている。

『MARCH』三部作英語版

公民権運動は1950年代から60年代にかけて行われた、黒人を中心とする人種的・民族的マイノリティが「憲法で認められた平等な権利の保障を訴えた」運動とされている。アメリカの歴史に詳しくなくとも、キング牧師やマルコムXなどの名前は聞いたことがあるのではないだろうか。アメリカでは南北戦争後に奴隷制が終わってからも、社会的・法的に黒人を隔離、差別する制度が残っており――というより、既存の支配構造を維持するためにそうした差別的制度が打ち立てられ――特に、南部の州では「ジム・クロウ法」と呼ばれる、黒人の一般公共施設(教育施設、商業施設やレストラン、公共交通機関、公衆トイレなど)を隔離・制限する法律が存在していた。こうした制度に対して抗議の声をあげ、平等の権利を求めて闘ったのが、20世紀半ばに社会的な盛り上がりをみせた公民権運動だ。さらなる歴史的な背景は翻訳版付録にある大森一輝の優れた解説を読んでほしい。

ジョン・ルイス、アンドリュー・アイディン作、ネイト・パウエル画『MARCH(マーチ)1―非暴力の闘い』(押野素子訳、岩波書店、2018年)

『MARCH 1』は、1965年3月7日、アラバマ州セルマで起きた「血の日曜日」事件――黒人の平等な公民権(選挙の投票権)を求めるデモに対して、州警察が暴力で「鎮圧」した事件――で、エドモンド・ペタス橋を渡ろうとするデモ隊と、その橋の向こうで待ち構える警察が対峙する直前から話が始まる。2014年の映画『グローリー/明日への行進』(原題:Selma)で描かれている橋だ。キング牧師とともにそのデモを率いていた一人が『MARCH』の主人公のジョン・ルイスである。彼は20万人以上が参加した1963年8月の「ワシントン大行進」――キング牧師が「私には夢がある(“I have a dream”)」の演説をした人種差別に対する最も有名なデモ――を率いた「ビッグ・シックス(Big Six)」と呼ばれるリーダーのひとりでもある。

映画『グローリー/明日への行進』(2014年)

物語は、2009年に黒人初のアメリカ大統領となったバラク・オバマの就任式に参加しようと準備するジョン・ルイスが、過去を回想する形で進んでいく。『MARCH 1』はジョン・ルイスのアラバマ州の農場での生い立ちから、両親との関係、北部州への初めての旅、キング牧師との出会い、そして大学への進学までを追いかけながら、ルイス自身のナレーションで、彼自身の公民権運動への関心や参加、関与した闘争の様子、数々の運動の実践と試行錯誤を描いている。

アメリカの公民権運動については、歴史の本だろうがインターネットの記事だろうが、たくさんの情報がある。しかし、『MARCH』が提示するのは、そうした情報としての過去ではなく、実際に関わった者たち、特にジョン・ルイス自身が、当時、その時々でどのように感じ、考えていたか、またどんな危険や(言葉と物理的な)暴力にさらされ、恐怖や不安に苛まれながらも、どこに希望や可能性を見出し、社会的な不正、抑圧、暴力に対して抵抗したかという経緯や様子である。(ひとまずは)「客観的」に書かれている歴史の本とは違い、ジョン・ルイス自身の言葉で、その時々の心理や態度、人種差別に対する抵抗運動やそうした運動を弾圧しようとする様子などが、アートを担当したネイト・パウエルの巧みな絵と物語の組み合わせによって、まるでその場にいあわせたような臨場感をもって伝わってくる。

初めて北部に向かうルイス
March: Book One © 2013 by John Lewis and Andrew Aydin
Artwork by Nate Powell

例えば、幼きジョン・ルイスが、伯父オーティスに連れられて、はじめてアラバマ州を出て、北部に向かうシーン。車の中で緊張した面持ちでいる二人の姿に、ナレーションが挿入される。「南部を完全に出るまで黒人が入れるレストランはなかったから、食事はすべて車の中ですませた。給油とトイレは慎重な計画を要した。以前北部まで旅したオーティスおじさんは「黒人用(Colored)」トイレのある場所を知っていた。寄らないほうがいい場所も分かっていた……」。この人種差別のひどい州間を移動する間の緊張や不安を伯父だけでなく、幼きジョン・ルイスも敏感に感じていたことが伝わってくる。「アラバマ州、テネシー州、ケンタッキー州。北部に行く途中で注意が必要だったのはこの3州だ」。このエピソードを伝えるページには、生まれ育ったアラバマ州を去る場面が描かれているが、州境の看板「テネシー 最高のアメリカ」によって視覚的皮肉(ヴィジュアル・アイロニー)が挿入されている。このように『MARCH』は、社会的・制度的、そしてイデオロギー的な差別構造が、どのように個人の心理的なレベルで抑圧的にふるまうかを首尾よく描きだしている。

「テネシー 最高のアメリカ」の視覚的皮肉(ヴィジュアル・アイロニー)

日本語版の『MARCH 1』の副題に「非暴力の闘い」とあるように、ジョン・ルイスと彼の率いるグループがとった戦略がいわゆる「非暴力主義」だ。インドのガンジーによって知られているこの抵抗の戦略は、単に「暴力をしない」ということを意味するのではない。『MARCH 1』に描かれているのは、「非暴力主義」とは非常に慎重に練られた、トレーニングをともなうひとつの抵抗の戦術であることだ。『MARCH 1』の中盤では、ルイスも参加した「非暴力セミナー」の様子が描かれている。そこでは、黒人らがお互いを(差別主義者が使う)差別用語で罵ったり、挑発したり、ときには椅子から落としたり、水をかけたりするが、そうした嫌がらせや挑発を受けても、感情的にならず、暴力で反応しない訓練をする様子が描かれている。

「非暴力セミナー」の様子

ときに、滑稽でもあるこのトレーニングは、人によっては心理的に辛いものであり、脱落者も出たという。しかし、この「非暴力主義」の戦略を利用して、ルイスを含むグループは、ある勝利を収める。それはローカルな場所で、小さなコミュニティから始まった抵抗運動のひとつの「成功」にすぎないのだが、たしかに社会的な変革をもたらした歴史的な例なのだ。その経緯はぜひこの作品を読んで確認してほしい。

人種差別や公民権運動の議論は、しばしば白人vs. 黒人、北部vs. 南部、差別主義者 vs. 平等主義者といった二項対立的な枠組みで語られるが、『MARCH 1』は、ジョン・ルイスら「公民権運動」を率先して推し進めた黒人の若い世代が、それ以前の世代の差別構造に対する態度にも抗う形で立ち現れてきたことも描いている。『MARCH 1』では、黒人初の最高裁判所判事であるサーグッド・マーシャルが登場するが、ジョン・ルイスは、彼をはじめとする指導的な立場にいる人々の妥協的な態度にも批判的だった。ルイスは回想する。「サーグッド・マーシャルは善人だったが、彼の話を聞いて私はますます確信した。われわれは人種隔離と人種差別に反対すると同時に、伝統的な黒人の指導者層に対しても抵抗しなければならない」。

こうした態度はルイスと両親とのコミュニケーションでも焦点化されている。『MARCH 1』の冒頭で、両親が幼きジョン・ルイスに何度も伝える言葉「白人の邪魔にならないようにね(Don’t get in white people’s way)」は、抵抗してトラブルに巻き込まれるよりも、無難な道を選んでほしいという親の心遣いだが、真に社会的な不平等に抵抗し、平等の権利をもとめ、その運動にコミットするにはそうした親や先行する世代のアドバイスを打ち破る必要があったのだ。ジョン自身は両親の世代とは違い、トラブルに巻き込まれようとも、社会的な運動をする決意をしたのだった。『MARCH』のアート展示会では、アメリカの「公共報道サービス(PBS)」が作ったジョン・ルイスのドキュメンタリーが上映されていたが、そのタイトルは「邪魔をする/(積極的に)介入する(Get in the way) 」 だ。

PBSのドキュメンタリー『John Lewis(ジョン・ルイス): Get in the Way』

冒頭のネイト・パウエルの言葉に戻ろう。彼は、なぜ今から半世紀以上前の運動についての話が「今のアメリカ社会についての本になってきた」と述べたのだろうか。それは公民権運動が終わり、1980年代のいわゆる「多文化主義(マルチカルチュラリズム)」を通過したアメリカ社会が、未だに文化的・イデオロギー的、そして物理的な差別を根強く残しているからだ。特に、ここ数年は、白人警官による黒人に対する暴力や殺傷がソーシャル・メディアを通してよく知られるようになり、アメリカの「闇」を多くの人が再び認識するようになった。あまりにも連続する(物理的な暴力を行使できる権利を持った)白人警官による黒人への暴力事件は、「公民権運動」が成果を収めた後も、20世紀後半、そして21世紀になっても黒人に対する差別(主義)による暴力が引き続き行われてきたという恐ろしい事実である。

『マーチ』の展示会場で創作過程を話す
ネイト・パウエル

『MARCH』が提示するのは、政治的にも、法律的にも、社会的にも力を持たない(または力を制限されている)人々がどのように社会的な変革を起こすことが可能なのか、という問いだ。日本語版の帯にある町山智浩の言葉「すべての弱き人々のための戦いの手本がここにある」は、たしかに『MARCH』シリーズの本質を捉えているだろう。『MARCH』が力強く物語るのは、過去にそうした変革をした例があり、そこから「力なき者」たちがどのように苦闘し、悩み、そしてより公平な社会を実現しようとしたか、という歴史的な例だ。こうした物語は、現在において「力を奪われている者たち」に力を与える可能性を秘めているだろう。

もちろん、それはアメリカにいる者たちだけではない。『MARCH 1』の献辞には「かつて公民権運動に携わった人々と未来の運動を担う若者たちへ」とある。原文では“To the past and future children of the movement”だ。この本は過去にアメリカの公民権運動に関わった者たちだけでなく、現在、そして未来を生きる子供たちが「こうした運動(the movement)」を続けていくための指南書としても読めるのだ。

もちろん、その名宛人には私たち自身も含まれている。

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About Author

CJ・スズキ

愛知県生まれ、現在アメリカのニューヨーク在住。メインストリームのアメコミ作家からオルタナ系のアーティストをはじめ、世界中からさまざまなジャンルやバックグラウンドのアーティストが集まる刺激的な都市、ニューヨークで、日本と北米のマンガを中心に研究しています。映像作家/大学講師であるジョージ・ツーリス(George Tsouris)とともに「Manga Research and Reading Network in NYC (MaRRN)」を主宰。

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