マイノリティの女の子の物語―ヴェラ・ブロスゴル『そなえよつねに』(2018)

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「そなえよつねに」(Be Prepared)とは、ボーイスカウトおよびガールスカウトにおける世界共通の標語であるそうだが、その標語を題名にしたこのグラフィック・ノベルは、多文化社会アメリカの中でマイノリティとして暮らす女の子が同朋のロシア系サマーキャンプに参加するひと夏を描いた物語である。

ヴェラ・ブリスゴル『そなえよつねに』(Vera Brosgol, Be Prepared, First Second, 2018)

ロシア生まれで子どもの頃に移民としてアメリカに渡ってきた9歳の女の子ヴェラはクラスメイトである「アメリカ的」な女の子たちとうまくなじめないでいる。お母さんと弟の3人でニューヨーク州北部の街オルバニーに暮らしており日曜日には家族で教会(ロシア正教会)に通うなどロシアの文化習慣を大事にする家庭で育つヴェラはクラスメイトの誕生日を祝う女の子同士のお泊り会に呼ばれてもどこか居心地の悪さを感じてしまう。自分の家にクラスメイトを招いてロシアのお菓子や飲み物をふるまっても皆に楽しんでもらえずに孤立感を深めるばかりである。そんな中、ロシア系のサマーキャンプの存在を知ったヴェラは渋る母親に頼み込んで2週間のキャンプに送り出してもらう。

クラスメイトの誕生会に呼ばれたのにヴェラは居心地の悪さを感じる

ヴェラにとってキャンプは親元から離れて過ごすはじめての機会であり、学校では出会えない同朋のコミュニティであれば親しい友だちができるのではと期待していたのだが、慣れない自然での生活に加えて「テントメイト」として行動を共にする仲間たちはずっと年上の14歳で身近な友だちにはなりにくい。キャンプは男女別に分かれているが、たまに見かける弟の方はすぐに新しい友だちができたようで楽しそうに過ごしており一層落ち込んでしまう。様子を見にきたお母さんの前で「ずっとキャンプにいたい」とはしゃぐ弟に対し、ヴェラは今すぐにも連れ帰ってほしいと思わず泣き出してしまう。手紙では楽しく過ごしていると書き送っていたこともありお母さんも困りはてるが求職中で飛行機移動を伴う面接試験を受けている最中でありヴェラを連れ帰ることもできない。結局、ヴェラは笑顔でお母さんを見送りキャンプに残る。

キャンプに参加するヴェラ

夏休みが長いアメリカでは学校とも異なる体験を得る機会としてサマーキャンプの人気が高い。宿泊型ではない通いのデイキャンプから宿泊型まで形態や期間も様々であり、さらに、演劇やアート、サイエンスを学ぶなど目的に特化したもの、宇宙ステーションやミュージアムとの提携型など多岐にわたる。ヴェラが参加しているサマーキャンプは2週間の宿泊型でありオルバニーの街から車で2時間ほどの場所にあるコネティカット州の森の中で行われる自然体験を目的としたものであるようだ。とりわけロシア系コミュニティに特化している点に特色があり、キャンプ中はロシア語が主要言語となる場もある(作中ではカッコ内表記によりロシア語での会話であることが示されている)。日曜日には教会行事も組み込まれるなどロシアの文化習慣を学ぶプログラムを通して年齢の異なる者同士が共同生活を行いながら同朋としての絆を深めていく。年長者が年下の世話をするのもキャンプの重要な側面であるのだが、仲の良い者同士であってもケンカが起こったり意地悪をしあったりすることもあるわけで、ましてや年上のテントメイトにとってヴェラは足手まといでしかない。同じように孤立して寂しそうにしている年下の女の子と出会うなどやがて少しずつ居場所を見出していく。外国文化として読む日本の読者にとってはアメリカの子どもたちが過ごすサマーキャンプのあり方も読みどころとなるだろう。ロシア系コミュニティの生活様式、教会やキャンプの様子などが9歳の女の子の視点で心象風景とともに表現されているのもグラフィック・ノベルならでは。全編モスグリーンを基調とした色使いも印象深い。

キャンプでの食事

主人公の女の子の名前が作者ヴェラ・ブロスゴル(Vera Brosgol, 1984-)と同じヴェラであることからも自伝的物語とみなされるものであり、作者自身ロシアのモスクワに生まれ5歳の時に一家でアメリカに移民として渡ってきた。巻末には少女時代の作者がキャンプ先から母親に宛てて書き送った手紙の現物コピーや、当時の作者自身の写真(物語のヴェラにそっくり)、「あとがき」も収録されており「本当にあった出来事をもとにした物語」であることが強調されている。

作者はアニメーション制作会社ライカスタジオでアニメーターとしての経歴を積んだ後、グラフィック・ノベル作家として『アーニャの幽霊』(Anya’s Ghost, 2011)でデビューしているのだが、そのデビュー作もまたロシア移民の女の子アーニャを主人公にしている。ロシアの文化や習慣にもアメリカの学校文化にもなじめないでいるマイノリティとしてアメリカの学校に通う女の子の居心地の悪さや心境を軸に据えた成長物語であり、女の子向けのグラフィック・ノベルの新しい潮流を担う描き手の一人として一躍注目されている存在である。『アーニャの幽霊』は現在、実写映画化も進行中であるようだ(エマ・ロバーツが出演予定)。ヴェラ・ブロスゴルの作品は絵本『しずかにあみものさせとくれー!』(表記はベラ・ブロスゴル、おびかゆうこ訳、ほるぷ出版、2017)のみ翻訳がなされている。

ヴェラ・ブロスゴル『アーニャの幽霊』(Vera Brosgol, Anya’s Ghost, First Second, 2011)
ベラ・ブロスゴル『しずかにあみものさせとくれ〜!』(おびかゆうこ訳、ほるぷ出版、2017年)

『そなえよつねに』は、はじめて親元から離れて過ごす女の子の心情が繊細に描かれており思春期を迎える直前の、いわば、子ども時代の終わりをめぐる物語でもある。ボーイスカウト/ガールスカウトの標語に基づくならばヴェラは大人になるための「心」「体」「技」の備えをしている最中にある。年上のテントメイトたちにとって主要な関心事である男の子もヴェラにとってはまだまだ遠い存在であるが気にならないでもない。作者の体験をもとにしたメモワール(回想)に基づくことからも劇的な出来事が起こるわけでもないのだが、新しい環境に飛び込む際のわくわくするような思いや不安などを、子ども時代からはるか隔たってしまっている読者にも想い起させてくれることだろう。そして現在、ヴェラと同じぐらいの若い読者にとっては、たとえロシア系やアメリカで過ごしているわけではなくとも、親しみやすい絵柄を通して、ヴェラのことをごく身近な存在として捉えることができるにちがいない。

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『そなえよつねに』(Be Prepared)
『アーニャの幽霊』(Anya’s Ghost)
『しずかにあみものさせとくれ〜!』

About Author

中垣 恒太郎

1973年広島県生まれ。専修大学文学部教授。アメリカ文学・比較メディア文化研究。大学では「思春期文化論研究ゼミ」を展開。米国と日本を軸にした女性のコミックス/マンガ表現をめぐる比較文化研究、さらに、欧米で注目されている「グラフィック・メディスン」の動向を踏まえた医療マンガの比較文化研究に関心を寄せています。日本マンガ学会海外マンガ交流部会(部会代表は小野耕世氏)ほか、女性MANGA研究プロジェクトなどに参加。

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